そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月30日(日)

2009年08月30日 | 昔日記
 亡父の七回忌を行うため帰省した。命日は12月なのだが、諸般の事情で早くしてもらった。28日の午前中の飛行機に乗る。妹夫婦も夕方に到着。家が狭いので、南殿町のど真ん中にある宿泊施設が手配してあった。その部屋からは、天守閣も県庁も見渡せる。高い建物がほとんどない街。いかに寂れているかだ。

 法事は29日の11:00からで、菩提寺は谷の奥の極まる所にある、妙心寺を本山とする禅刹である。般若心経や法華経普門品、白隠禅師坐禅和讃を読誦させられた。いい加減口がだるくなる。その後、塔婆を持ってまず家の墓所へ行き、副住職にお経をあげていただいた。山の中腹にあって、並びには元禄三年に没した松江藩士の墓石なんぞも建っている。実は亡父の収まっている墓は麓の供養塔のほうで(私は実父母とは姓が違う)、今度はそちらに塔婆を立て、お経をあげていただいた。それから、庫裏のお部屋を借りて、お斎を供した。13:00にお開きとする。

 妹夫婦はすぐに上京する。妹は投票所のアルバイトをするらしい。私たちはもう1泊。今度は実家の茶室に布団を敷いた。

 今朝、遅めに朝刊を開いてビックリする。28日に同僚のT教授がお亡くなりになったとの訃報が載っている。慌ててU教授、そしてコース主任に電話した。主任は27日にお見舞いに行き、お目にかかったそうだ。ご体調が優れないとは仄聞していたが、急にこんなことになるとは。昨年のK教授に続き、なんということだろう。K先生の告別式で読まれたT先生の弔辞は、私もすぐそちらへ行くという言葉で締め括られており、ああ、何ということをおっしゃるのかと思ったが、その通りになってしまった。明日が通夜で、告別式は明後日とのこと。

 前日妹夫婦が帰ったのと同じ便で羽田へ向かう。夏休み最後の日曜のせいか、満席だった。台風接近で大雨だ。帰宅して遅い夕食を摂り始めると、選挙の開票が始まった。