松江に帰りたい。我が松江、我が鎮魂…入沢康夫ですな(本当は『わが出雲・わが鎮魂』)。入沢さんとは一度だけお話ししたことがある。北堀町のご出身だ。
今年は「ホーランエンヤ」があったが、観に行けなかった。12年に1度しか行われないので、正直あまり記憶にない。巡り合わせということがある。「鼕行列」はなつかしや。お堀がきれいになったので、遊覧船が運航するようになったが、子どもの頃には考えられなかった光景である。
亡父が一番好きだったお社は「神魂(かもす)神社」。松江を訪れたら、ぜひ参詣なさるべし。大社造のむき出しの本殿(しかも国宝)に近寄れるのは、ここくらいだ。亡父は社家(出雲国では「横屋」という)の次男だったが、ド(太鼓のこと)が実に上手かった。
今年は「ホーランエンヤ」があったが、観に行けなかった。12年に1度しか行われないので、正直あまり記憶にない。巡り合わせということがある。「鼕行列」はなつかしや。お堀がきれいになったので、遊覧船が運航するようになったが、子どもの頃には考えられなかった光景である。
亡父が一番好きだったお社は「神魂(かもす)神社」。松江を訪れたら、ぜひ参詣なさるべし。大社造のむき出しの本殿(しかも国宝)に近寄れるのは、ここくらいだ。亡父は社家(出雲国では「横屋」という)の次男だったが、ド(太鼓のこと)が実に上手かった。