そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月6日(木)その3

2009年08月06日 | 昔日記
 松江に帰りたい。我が松江、我が鎮魂…入沢康夫ですな(本当は『わが出雲・わが鎮魂』)。入沢さんとは一度だけお話ししたことがある。北堀町のご出身だ。

 今年は「ホーランエンヤ」があったが、観に行けなかった。12年に1度しか行われないので、正直あまり記憶にない。巡り合わせということがある。「鼕行列」はなつかしや。お堀がきれいになったので、遊覧船が運航するようになったが、子どもの頃には考えられなかった光景である。

 亡父が一番好きだったお社は「神魂(かもす)神社」。松江を訪れたら、ぜひ参詣なさるべし。大社造のむき出しの本殿(しかも国宝)に近寄れるのは、ここくらいだ。亡父は社家(出雲国では「横屋」という)の次男だったが、ド(太鼓のこと)が実に上手かった。

8月6日(水)その2

2009年08月06日 | 昔日記
 サギソウが咲いている。楽しみなのは、3月に切目王子社で採ってきたナギが、3つばかり順調に成長していることだ。ひこ生えを3本、種を3つほど持ち帰り、鉢に植えておいたのである。ひこ生えはうち1本が枯れ、種は2つ発芽したが、1つは何かのはずみでぽきんと折れてしまった。まあ、生存率50%は、悪くはない。小盆栽にでもできるとよいのだが…。

 生協の配達日なので、野菜の残りをまとめて処分した。処分といっても、こうするのである。まず、なんでもかんでも切り刻んで、中華鍋に放り込み茹でる。キャベツの芯のあたりだってもったいない。やや柔らかくなったら、ミキサーにかける。ホワイトシチューの素の残りも、中に放り込む。ペースト状になったら、油をひき、バター少々を溶かした中華鍋に戻して、水分を飛ばしていく。ここでミンチ肉を混ぜ込み、その辺の調味料を適当に加えたりする。目の前に粉末茶という面妖なものがあったので、こいつも少し加えてみた。安い回転寿司屋に置かれているようなしろものである。カレー粉を加えればカレーになるが、そのままだと、トルコか地中海沿岸あたりの何とか(「エズメ」?)という料理みたいになる。鮮やかな緑色の野菜ペーストの出来上がり。粉末茶の苦味がほどよいアクセントとなった。
 
 これを、押し麦をかなり加えた御飯を炊いて、のせて食べたてみる。うまひ! パンやクラッカーにつけても美味しかろう。私はカレーでも何でも、中華鍋一つで作るのだ。

 とにかく冷蔵庫の大掃除である。しらたきが1袋残っていた。一度凍らせたので、きんよりきんよりしている。これを短めに切り、ヒジキ・大豆と一緒に炊き込んだ。常用のめんつゆを切らしており、ウチには砂糖がないので、みりんと醤油だけで味付けをした。そこにミンチ肉の残りをどばっと加え、七味を振ってほのかに辛味を付ける。よくよく汁気を飛ばすことがコツである。しらたきの歯応えが絶妙だ。

8月6日(木)

2009年08月06日 | 昔日記
 K先生に差し上げたコンフィチュールはご好評のよしだが、「うまひ」という仮名遣いは面白い。形容詞「うまし」の連体形「うまき」のイ音便形がもとだから、歴史的仮名遣いでは「うまい」となるが、それを、ハ行転呼による混乱などを逆手にとって、わざと、なんちゃって昔風仮名遣いにしていらっしゃるのである。

 こういう現象は古くからある。「かをり」など、「かほり」と書くのが定着してしまった観がありますな。小椋佳の名曲「シクラメンのかほり」はその典型。人名も、「かほり」さん、「かほる」さんが結構いらっしゃる。その点、タレントの「眞鍋かをり」は、正しく歴史的仮名遣いを使っているわけだ。

 ご好評のコンフィチュールは、近所のパン屋の自家製である。ミルクとフランボワーズが定番で、私が好きなのはミルクだが、ついつい舐めちゃって、パートナーにひどく叱られる。生キャラメルみたいなのだ。もっとも、このパン屋では、生キャラメルも作って売ってますがね。今度、K先生に、定番のコンフィチュールもお届けしてみましょう。

広島原爆忌。8:15に黙祷すること、例年の通り。