そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月10日(火)鹿ケ谷?

2015年11月10日 | 公開

  18:30から大学近くの蕎麦屋で会食。まあ、この顔ぶれとなると、話は現当局者の悪口に及ぶ。そうしたら、店を出るとき、後ろのカウンターに前「当局」のお一人が座っておいでだった。剣吞、剣吞。

  しかし、会場に選んだお店は、お料理はとても美味しく、お値段も実にリーズナブルだったが、花番のねえちゃんが最悪、というか、ありゃ着物着た単なる「お運びさん」である。酒のことを聞いても全然分からないし、それなら板場に尋ねればいいのに、それもしない。お任せで燗酒を注文したら、冷酒出してきやがったんだぜ。酒器のことを聞いても、???。教養が皆無なのである。そんな者店に出すな!

  下見にニ度来たが、いずれも昼飯を食いに行ったので、酒を飲まなかったのが失敗の原因か? いや、幹事面目を失いました。

  今日はおやつに神田「まつや」へ行ったのもいけなかった。「まつや」の花番の素晴らしさと比較された日には、バイトのねえちゃんもお困りだろう。ともあれ、酒を飲む店ではないと知った。

   1/4化の話、ありゃT教授のアイデアだったんですな。やるならA前学部長案のように、どばっと全面的徹底的にやらなければ意味ないと、T教授はおっしゃっていた。Aさん、自信をもってまた学部長におなりなさいよ。応援すっからさ。権力握らないと、改革はできんぞ。しかし、我が大学もランキング601-800位に沈没して、もはや世界のトップからは相手にされまいとは、コピペ博論認めたりしたからだな、きっと。

  とにかく、いろいろな人の悪い評判を聞かされた。意外な情報もいっぱいあった。もう、ウチの大学には(日本にはと言うべきか)将来がないことも、よく分かった。結局、いまの理事会は無能だという話で終わりましたとさ。あと12年で死ぬ予定の身としては、もう、どうでもいいような気がしますがなあ。(-_-;)

世上乱逆追討雖満耳不注之 紅旗征戎非吾事


11月10日(火)時間潰し

2015年11月10日 | 公開

  社会人講座は14:30に終了。18:30から早稲田で会食のお約束があり、さて、それまでどこで時間を潰すか。やはり「まつや」へ行く。熱燗1本でかなりねばる。それから、「竹むら」粟ぜんざい を食うこと常のごとし。あげ饅頭を土産にもらって、早稲田へ。

  「Cafe GOTO」でエスプレッソを飲む。あげ饅頭はGOTOさんを太らす魂胆なのだ。現在体重86㎏とのこと。81㎏のおいらの勝ち! ウソだ~!と喚いていられた。

  しかし、「Cafe GOTO」はまったく客層が変わってしまったなあ。ちゃらちゃらした学生なんぞ、入れる店じゃなかったんだが…。入ってすぐ左の大きなテーブルに座るよう言われたが、後から若いねえちゃん3人組が続いて入ってきたから、相席はかなわんと移動をした。ねえちゃんたち、しきりにケーキの写真を撮り、仕舞いには髭のおにいさんに記念撮影をしてもらっていた。静かに珈琲飲めよな。もうおいら、こういう若い女性には、興味無いね。だいいち、アレもたたんしな。セクハラ無縁の、有若亡教授ぢゃ! ああ、よござんした。


11月10日(火)文部科学省

2015年11月10日 | 公開

  月に1度の通院日。新宿の痛風センターへ。待合室に入れば、チェリー大学のK教授がいらした。私と同じ主治医にかかっておいでの「痛風仲間」?、大学院修士課程の同期進学者だが、成績はKさんが1番で、私は2番だった。なぜそんなことが分かるかといえば、次のような理由による。Kさんは教授の息子であり、当時教職員の子弟は学費免除という制度があった。また1番で合格すると、学費相当額の大学創立者記念奨学金というのがもらえた。合格した後、指導教授に呼び出され、Kさんが1番だが教授の息子は自動的に学費免除だから、奨学金は2番のお前に回すと言われたのである。これをハンモック・ナンバーと申しますな。しかし、病気は同じである。

  尿検査、血液検査をして、またKさんとお話しようと、採血の跡をちゃんと押さえなかったのがいけなかった。どうもチクチクするわいと袖を見ると、グレーのジャケットに黒く丸いシミが。ありゃりゃと腕をめくると、シャツにも丸く血が滲んでいる。以前、もっと派手に血まみれになったこともあるが、今回は限定的なので、そのまま絆創膏で血が止まるのを待って、薬局に処方箋を出しておいてトイレに駆け込み、上着とシャツを脱いで血を洗い、着衣もその部分を洗って血を落とした。後からトイレに入ってきた人がぎょっとしていたが仕方が無い。まあ、なんとか格好はついたぞなもし。

  郵便局で学会の時注文した研究所の振り込みをして、新宿駅からメトロに乗る。さて、どこでりんだもぢるか? やっぱり「湯津上屋」だなと決意して、赤坂見附で銀座線に乗り換え、虎ノ門に着いたら同僚のN教授が車輛に乗り込んで来られた。な、なんですか?とお尋ねすれば、教科書検定の申し渡しで文科省へ行かれたよし。N先生はM書院の教科書編集委員なのだ。私が編集委員を務めるT書籍の検定結果申し私は昨日だったが、講義の関係で他の委員に行ってもらった。そういう時期らしい。何かありましたか?と尋ねると、脚注について帝大のW教授が教科書調査官の指摘にご立腹、論争しようか!といきり立ったのだとか。元気だなあ。私は二流私立大学の出だから、到底お上には逆らえませんわ…。

  銀座で降りて「湯津上屋」へ行く。先客は若いアベック1組。感じ悪い。鴨汁をいただく。それから社会人向け講座へ。

  本日の講座は完全に寄席のノリとあいなった。こんなことで、通用するのかいな、ホント。