そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

4月18日(水)400名相手の講義

2012年04月18日 | 公開

 10:40からオムニバス形式の講義の担当回。受講者は400名で、ハンドアウトを山のように用意し、キャンパス内で一番大きな教室へ向かう。この教室は、まことにもって話しづらい。授業でここを使ったのは初めてだ。教務主任としてここでいろいろ説明をしたことはあるのだが…。さて、講義内容はと言えば、あんまりうまくいかなかった。もう一、二度喋れば、程よく練れてくるんだがなあ。終わってから、質問に来た女子学生があった。トルストイがどうしたこうした…ロシア文学のS先生のファンなのだそうである。あとで伝えておこう。

 終了後、12:30から教室会議。教員組合の職場会はパス。教授会の前に職場会を設定するなんて、職場議長はどうかしている。議題2つで、13:55までかかった。

 14:00からは教授会。会議室へ向かう道すがら、ロシア文学のM教授と一緒になったので、午前中の講義でSさんのファンという女子学生がいたよと申し上げると、彼は本気にするから言わんほうがいいとアドバイスされる。S先生、お若いでのう。

  新任の先生方のご挨拶があるので、教授会はほぼ定刻に始まる。で、終わったのが18:30過ぎ(うんざり!)。頼むから副学部長は、間断なく甲高い声で喋り続けるのはやめてください。気が狂いそうになった。新任のM教授は、目を丸くしておられる。報告事項に入ったらエスケープする手もあるんですよと、あらぬことを耳打ち申し上げておいた(いけずな主任である)。

 お稽古事には少々遅参した。A師匠が候文の書き方をお教えくださったので、私も配られた栄宝斎の便箋に、「…被下度候」などとしたためる。

 ムーミン大のお二人をお誘いし「かわうち」へ。例の事件は、緘口令が敷かれているのかもしれない、詳細は分からないとのことである。かくなりては、なかなか(かえって)お気の毒な気もするわいなあという話になった。要するに、時代の変化についていけなくなって、勘違いしたまま沈没したということか。しかし、他人事ではないぞよ。昭和は遠くなりにけり…。