先日、淡路島を巡り高田屋嘉兵衛ゆかりの地を歩いた。函館や神戸でも関連史跡に出会った。「菜の花の沖」を読んだのは、ざっと三十年も前のことで当時あまり鮮烈な印象が残らなかったが、改めて読んでみようという気になった。
やっぱり司馬遼太郎の小説は面白い!文庫本6巻から成る長編であるが、我を忘れて小説の世界に没入することができた。司馬先生が「日本の歴史上、二番目が思いつかないくらい偉い人」と絶賛する、思い入れたっぷりの高田屋嘉兵衛の物語である。
第1巻は、嘉兵衛が陰湿ないじめに遭って追われるように淡路島を逃げ出す始末が語られる。おもととのロマンスが唯一の救いである。
巻末の「あとがき」で司馬良太郎先生は、
――― いじめる、という隠微な排他的感覚から出たことばは、日本独自の秩序文化に根ざしたことばというべきで、たとえば日本語が古い時代に多量に借用した漢語にもなく、現代中国語にもなさそうである。英語やフランス語にもないのではないか。
と述べられているが、個人的な体験ではあるが、シンガポール勤務時代に部下の女性から
Don't bully me.
といわれたことがある。直訳すれば「私をいじめないで」ということになろう。どういう状況で言われたのかはっきりと覚えていないが、もちろん陰湿ないじめというわけではなく、「からかわないで」くらのニュアンスだったと記憶している。司馬先生のいう「隠微で排他的」なものではないにしろ、日本語の「いじめる」に相当する言葉は、ほかの言語にもあるのではなかろうか。ただ、その行為の結果、相手が自殺に追い込まれたり、故郷を出奔せざるを得ないような陰湿さは日本独自の悪習かもしれない。
第2巻では、兵庫の船宿に飛び込んだ嘉兵衛が船乗りとして成長し、名声を確立する様子を描く。樽船で江戸への一番乗りを果たし、筏船で江戸へ到達するような命がけの航海もこなした。
嘉兵衛は都志に帰って船員を募る。追い出されるようにしてあとにした故郷は、嘉兵衛を大歓迎する。まさに故郷に錦を飾るシーンで第2巻は閉じられるが、ここまででも十分小説として完結しているように思われる。しかし、嘉兵衛の波乱万丈の人生はこれからである。
やがて嘉兵衛は、念願であった持ち船を手に入れ、これを足掛かりに蝦夷との交易に乗り出す。商いで得た利益を惜しげもなく新造船につぎ込み、堺屋喜平衛から店を任されるようになる物語は、出世物語としても面白く読むことができよう。嘉兵衛の類稀なる操船術や商才が描かれるが、幕臣高橋三平(重賢)や最上徳内との交流を通じて、単なる船乗りから、彼の興味の対象が蝦夷へと移って行く様子が描かれる。
この時代、高橋三平、松平忠明、羽太正養、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵ら、才気にあふれた人材が続々と蝦夷地へ集結した。江戸時代の武士階級というものは、「先祖の武功による家禄を、代々が継いで行って、大過がなければ生涯をすごせる(中略)ひたすらに過不足なく分をまもり、分の範囲で下に威張り、上にへつらい、決して無用の異を立てるべきではない。また、自分のなかから独創的要素を封殺し、さらには個人としての勇気や侠気はむしろ身の安穏をやぶる余計なものであると心得ねばならなかった。」そういう時代の空気の中、己の才気を発揮してみたいという野望を持つものが唯一その場を与えられたのが蝦夷地だったのであろう。彼らに吸い寄せられるように嘉兵衛も蝦夷地に向い、そこを活動の舞台とした。
司馬小説は余談・余話・薀蓄が随所に挿入され、なかなか物語が進展しないのが特徴でもあるが、この作品ではそれが特に際立っており、これによって好き嫌いが分かれるかもしれない。
司馬先生の筆は時に本筋から脱線し、和船の構造や灘の酒造業のこと、松前廻船、ロシアの南下政策、松前藩による蝦夷地支配、北方領土問題など多岐に及ぶ。
司馬先生は領土紛争について
――― 領土論による国家間の紛争ほど愚劣なものはない。十八、十九世紀以来、この争いが、測り知れぬほど多量に、無用の血を流させてきた。
と距離を置いて述べている。確かに領土問題は、歴史的事実とか経緯とかを越えて、国家の対面やプライドが絡み、簡単に解決できるものではない。
北方領土の問題といえば、第二次世界大戦の終戦間際、我が国がポツダム宣言の受諾を表明した後に、ロシアがまさに「火事場泥棒」さながらに北方四島を略取したと日本では語られているが、当のロシアではそのようなことを露ほども「悪い」と思っていないようであるし、話が噛みあわない一つの要素になっている。
司馬先生は、ヨーロッパ的「領土」と中国的「版図」に対する考え方の違いに言及している。日本は幕末にロシアを始めとする欧米各国と和親条約を結んだ時点でヨーロッパ流の領土・領有権に組み込まれており、その考え方に従えば、千島列島に本当に我が国の主権が及んでいたのか疑わしくなってしまう。また昨今、中国が南シナ海の島々の領有権を主張している理屈についても、ヨーロッパ流の考え方では理解不能でとても強引なものにしか受け取れないが、中国古来の考え方では特に無茶をいっている意識はないのかもしれない(ただし、その理屈を適用すれば、朝鮮も日本も琉球も全て中国の領土となってしまうが)。
第5巻に入ると、物語はますます進まなくなる。ロシアの歴史、井上靖の「おろしや国酔夢譚」で有名な大黒屋光大夫のこと、ラクスマンが日本に派遣された経緯、さらにレザノフの大航海など、ほぼ一冊を費やして解説が続く。司馬先生はのちに「ロシアについて」という本を残しているが、その原型となる情報はここに集約されている。確かにここに至る背景が分からないと、ゴローニンが捕らわれ、その反動として嘉兵衛の身に起こる事件も分からないのである。それにしても、これほど「余話」が続く小説は珍しいのではなかろうか。司馬先生だから許された奇形の小説といえる。
第6巻に入った途端、一転して嘉兵衛の物語が急展開を見せる。何としてもゴローニンを救い出したいリコルドと、頼まれもしないのに日露外交交渉を買ってでた嘉兵衛との息詰まるやりとりが始まる。単に寝食をともにして信頼関係を高めたというものではない。言葉が通じない中、時に殺し合いになりそうなほど罵声を浴びせ合い、とことん話し合いを重ね、絶対的な信頼関係を築き上げた。
ゴローニンが無事ロシアに戻ることになり、ディアナ号を見送りに来た嘉兵衛に、リコルド以下乗組員が甲板に整列し
アラァ、タイショウ
と三回叫ぶシーンはとにかく感動的。きっと司馬先生はこの美しいシーンを描くために、ここまで筆を重ねてきたのであろう。
やっぱり司馬遼太郎の小説は面白い!文庫本6巻から成る長編であるが、我を忘れて小説の世界に没入することができた。司馬先生が「日本の歴史上、二番目が思いつかないくらい偉い人」と絶賛する、思い入れたっぷりの高田屋嘉兵衛の物語である。
第1巻は、嘉兵衛が陰湿ないじめに遭って追われるように淡路島を逃げ出す始末が語られる。おもととのロマンスが唯一の救いである。
巻末の「あとがき」で司馬良太郎先生は、
――― いじめる、という隠微な排他的感覚から出たことばは、日本独自の秩序文化に根ざしたことばというべきで、たとえば日本語が古い時代に多量に借用した漢語にもなく、現代中国語にもなさそうである。英語やフランス語にもないのではないか。
と述べられているが、個人的な体験ではあるが、シンガポール勤務時代に部下の女性から
Don't bully me.
といわれたことがある。直訳すれば「私をいじめないで」ということになろう。どういう状況で言われたのかはっきりと覚えていないが、もちろん陰湿ないじめというわけではなく、「からかわないで」くらのニュアンスだったと記憶している。司馬先生のいう「隠微で排他的」なものではないにしろ、日本語の「いじめる」に相当する言葉は、ほかの言語にもあるのではなかろうか。ただ、その行為の結果、相手が自殺に追い込まれたり、故郷を出奔せざるを得ないような陰湿さは日本独自の悪習かもしれない。
第2巻では、兵庫の船宿に飛び込んだ嘉兵衛が船乗りとして成長し、名声を確立する様子を描く。樽船で江戸への一番乗りを果たし、筏船で江戸へ到達するような命がけの航海もこなした。
嘉兵衛は都志に帰って船員を募る。追い出されるようにしてあとにした故郷は、嘉兵衛を大歓迎する。まさに故郷に錦を飾るシーンで第2巻は閉じられるが、ここまででも十分小説として完結しているように思われる。しかし、嘉兵衛の波乱万丈の人生はこれからである。
やがて嘉兵衛は、念願であった持ち船を手に入れ、これを足掛かりに蝦夷との交易に乗り出す。商いで得た利益を惜しげもなく新造船につぎ込み、堺屋喜平衛から店を任されるようになる物語は、出世物語としても面白く読むことができよう。嘉兵衛の類稀なる操船術や商才が描かれるが、幕臣高橋三平(重賢)や最上徳内との交流を通じて、単なる船乗りから、彼の興味の対象が蝦夷へと移って行く様子が描かれる。
この時代、高橋三平、松平忠明、羽太正養、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵ら、才気にあふれた人材が続々と蝦夷地へ集結した。江戸時代の武士階級というものは、「先祖の武功による家禄を、代々が継いで行って、大過がなければ生涯をすごせる(中略)ひたすらに過不足なく分をまもり、分の範囲で下に威張り、上にへつらい、決して無用の異を立てるべきではない。また、自分のなかから独創的要素を封殺し、さらには個人としての勇気や侠気はむしろ身の安穏をやぶる余計なものであると心得ねばならなかった。」そういう時代の空気の中、己の才気を発揮してみたいという野望を持つものが唯一その場を与えられたのが蝦夷地だったのであろう。彼らに吸い寄せられるように嘉兵衛も蝦夷地に向い、そこを活動の舞台とした。
司馬小説は余談・余話・薀蓄が随所に挿入され、なかなか物語が進展しないのが特徴でもあるが、この作品ではそれが特に際立っており、これによって好き嫌いが分かれるかもしれない。
司馬先生の筆は時に本筋から脱線し、和船の構造や灘の酒造業のこと、松前廻船、ロシアの南下政策、松前藩による蝦夷地支配、北方領土問題など多岐に及ぶ。
司馬先生は領土紛争について
――― 領土論による国家間の紛争ほど愚劣なものはない。十八、十九世紀以来、この争いが、測り知れぬほど多量に、無用の血を流させてきた。
と距離を置いて述べている。確かに領土問題は、歴史的事実とか経緯とかを越えて、国家の対面やプライドが絡み、簡単に解決できるものではない。
北方領土の問題といえば、第二次世界大戦の終戦間際、我が国がポツダム宣言の受諾を表明した後に、ロシアがまさに「火事場泥棒」さながらに北方四島を略取したと日本では語られているが、当のロシアではそのようなことを露ほども「悪い」と思っていないようであるし、話が噛みあわない一つの要素になっている。
司馬先生は、ヨーロッパ的「領土」と中国的「版図」に対する考え方の違いに言及している。日本は幕末にロシアを始めとする欧米各国と和親条約を結んだ時点でヨーロッパ流の領土・領有権に組み込まれており、その考え方に従えば、千島列島に本当に我が国の主権が及んでいたのか疑わしくなってしまう。また昨今、中国が南シナ海の島々の領有権を主張している理屈についても、ヨーロッパ流の考え方では理解不能でとても強引なものにしか受け取れないが、中国古来の考え方では特に無茶をいっている意識はないのかもしれない(ただし、その理屈を適用すれば、朝鮮も日本も琉球も全て中国の領土となってしまうが)。
第5巻に入ると、物語はますます進まなくなる。ロシアの歴史、井上靖の「おろしや国酔夢譚」で有名な大黒屋光大夫のこと、ラクスマンが日本に派遣された経緯、さらにレザノフの大航海など、ほぼ一冊を費やして解説が続く。司馬先生はのちに「ロシアについて」という本を残しているが、その原型となる情報はここに集約されている。確かにここに至る背景が分からないと、ゴローニンが捕らわれ、その反動として嘉兵衛の身に起こる事件も分からないのである。それにしても、これほど「余話」が続く小説は珍しいのではなかろうか。司馬先生だから許された奇形の小説といえる。
第6巻に入った途端、一転して嘉兵衛の物語が急展開を見せる。何としてもゴローニンを救い出したいリコルドと、頼まれもしないのに日露外交交渉を買ってでた嘉兵衛との息詰まるやりとりが始まる。単に寝食をともにして信頼関係を高めたというものではない。言葉が通じない中、時に殺し合いになりそうなほど罵声を浴びせ合い、とことん話し合いを重ね、絶対的な信頼関係を築き上げた。
ゴローニンが無事ロシアに戻ることになり、ディアナ号を見送りに来た嘉兵衛に、リコルド以下乗組員が甲板に整列し
アラァ、タイショウ
と三回叫ぶシーンはとにかく感動的。きっと司馬先生はこの美しいシーンを描くために、ここまで筆を重ねてきたのであろう。
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