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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「お城の値打ち」 香原斗志著 新潮新書

2025年03月22日 | 書評

私はこれまで史跡を訪ねる中で240を超える城(城跡を含む)を踏破してきた。お城には人並み以上に関心をもっていたつもりだが、どちらかというと城を訪ねたことに満足してしまい、正直にいってあまり往時の姿とか、周囲の環境まで気にしていなかった。筆者は、歴史評論家、音楽評論家という肩書を持ち、日本古代史、近世史を中心に多くの著書があり、城について一方ならぬコダワリを持っている。

筆者がいうように、ヨーロッパでは城郭だけでなく、周辺の市街地に至るまで美観を伴って保存されている。翻って日本の城のほとんどは、その周辺環境まで含めてかなり破壊が進んでいる。明治維新を迎えた時点で、全国に七十数棟の天守が存在していたとされるが、現存しているのはわずかに十二棟である。

明治維新から太平洋戦争までの間に実に五十棟以上が破壊されている。理由を大別すると、概ね以下のとおりである。①維持するのが困難となり旧藩主が城の取り壊しを申し出たケース(小田原城、中津城など)②明治六年(1873)の廃城令を受けて廃城となったケース(萩城、津山城など)③存城と決定されながらも軍事的理由から破却されたケース、あるいは老朽化のため取り壊されたケース(高松城、福岡城など)④太平洋戦争の空襲で焼失したもの(水戸城、名古屋城、和歌山城など)

筆者は「日本固有の文化や歴史的景観を守るという発想が明治政府に皆無だった」「欧米との格差を埋めることに躍起になるあまり、欧米を真似ながら、彼らが大切にしているアイデンティティの維持という姿勢には目を向けることができなかった」「文化的素養に欠ける薩長の下級武士たちの限界を思わざるを得ない」と厳しく明治政府を指弾する。敢えて明治政府を擁護すれば、彼らは前政権の象徴である城郭をできるだけ消したかったのだろう。

第三章では「天守再建ブームの光と影」と題して、戦後復興のシンボルとして次々と再建された天守の実態を描いている。昭和三十年代から「築城ブーム」に乗って再建された天守には甚だしい「史実軽視」が横行している。

本書では、広島城、大垣城、名古屋城、岡山城、福山城、小田原城、小倉城などを紹介している。小田原城は昭和三十五年(1960)に再建されているが、古写真や絵図面などの決定的な史料が欠けていた事情もあり、外観の再現には推定に頼らざるを得ない面もあった。しかし、小田原市より「観光のためにどうしても天守が欲しい」と要請があり、文部省から「好ましくない」と指摘されながらも、存在しなかった天守最上階に高欄付き廻縁が巡らされることになった。そのため小田原城は「外観復元天守」ではなく「復興天守」なのである。

昭和三十四年(1959)に竣工した岡崎城や小倉城も地元の観光協会などからのリクエストに応じて、もともと古写真などにはない廻縁や高欄、派手な破風が付けられた。筆者にいわせれば「観光のための愚行」であり、「史実に裏付けられた独自の魅力を、他者と同じであろうとするためにあえて否定することほど愚かなことはない」と激しく非難している。

富山城に至っては、もともと天守台すらなかったにもかかわらず、「復興のシンボル」という名目で、「史実とは全方位的に無関係」にコンクリート製の天守が建てられた。平成十六年(2004)には、その天守が国の有形文化財に登録された。筆者は「歴史を無視した景観にお墨付きがあたえられたのは、私には悪い冗談としか思えない」と嘆息している。平戸城や中津城、横手城、川之江城などはいずれも史実にない「模擬天守」である。

最悪の例として木下藤吉郎の一夜城で有名な墨俣城が紹介されている。墨俣の一夜城については、後世の創作とする見解もあるというほど、史実に照らすとあやふやなものである。いずれにせよここにあったのは本格的な城郭ではなく、土塁や空堀で構成された簡易な城塞であった。ところが、そこに平成三年(1991)、白亜の天守が建てられた。この奇怪なお城は、新幹線の車窓からも見ることができる。筆者は「多くの人に歴史を誤解させることを考えれば、正負の価値は相殺され、(純金の)こけしやカツオと変わらないようにもおもえる」としている。

観光のための「復興天守」への反省から平成以降に再建された城郭建築は、可能な限り史料にあたり、調査を重ね、伝統工法の継承も意図しながら、木造で復元される例が増えている。

松山城や白河小峰城、掛川城、大洲城などは木造で伝統的工法にこだわった復元である。あんまりそのようなことを意識せずに見てきたが、改めてそういう目で見ると昔の人も見た同じ風景を我々も目にしているという感激を味わうことができる。難しいことは分からないが、観光目的で造られたありもしない模擬天守より、復元天守の方が遥かに心を動かされるのは間違いない。今後も「復元天守」が増えることを期待したい。

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