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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「住友を破壊した男 伊庭貞剛伝」 江上剛著 PHP研究所

2019年04月28日 | 書評
財閥解体前の住友には七人の総理事がいた。初代総理事広瀬宰平は、その中で最も著名で、カリスマ的存在といえるだろう。広瀬宰平は維新直後、政府に接収されそうになった別子銅山を守り、フランスから鉱山技師を招いて別子銅山の近代化を進めた。それまで人力に頼っていた鉱石の輸送を、牛車化さらに鉄道化したのも広瀬の功績である。
本書は、広瀬宰平の甥で、二代目総理事となった伊庭貞剛を扱った小説である。カリスマ経営者は、時に暴走して誰の諫言も耳に入らなくなる。まさに「猫の首に鈴をつける」役割を果たしたのが伊庭貞剛であった。思えば、絶対的存在となった広瀬に対して、引退を勧告できたのは貞剛以外にいなかったであろう。
――― 事業の進歩発達に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である。
という伊庭貞剛の言。直接、宰平に投げつけたものではないが、彼の存在が念頭にあったことは間違いないだろう。貞剛自身は五十八歳で経営から身を引くと、その後、一切口を出すことはなかった。私も今年ちょうどその五十八歳になった。今日的には、老人というにはまだ早いかもしれない。広瀬宰平のようにカリスマ性があるわけでも、会社に功績を残したわけでもないので、比較するのもおこがましいが、社内に仕事もないのに、未練がましく会社にしがみつくことだけは止めようと心に決めている。世の中には仕事が大好きな高齢者がいるが、自分しかできないと勘違いしないことだ。電車内で老人が座席を譲ってもらう代わりに、会社組織では若者に席を明け渡した方が良い。
本書には「住友を壊した男」という、一見すると逆説的な副題がつけられている。確かに、煙害被害の補償額と比べものにならないほどの高額な投資をしてまで、沖合の無人島である四阪島に製錬所に移転するというのは、経済性からすれば暴挙かもしれない。今日であれば株主や投資家が黙っていないだろう。
結果的に製錬所から吐き出される亜硫酸ガスは拡散して、煙害被害はさらに拡大してしまった。補償額は新居浜に製錬所があったときよりも高額になるし、真水の無い四阪島には毎日水を運ばなくてはならないので、ランニング費用も上昇している。まったく経済的には見合わない投資であった。
しかし、経済性を度外視してでも地域との共存共栄を優先するという経営姿勢は、住友の大事な財産として受け継がれることになった。
貞剛は、伐採と煙害のために禿山となってしまった別子の山に年間数百万本という植林をした。当然ながら、貞剛が生きている間、植林の成果を見ることはできない。これも短期的にはまったく経済的に見合わない行為であった。
百年後の今日、別子の山が緑に覆われていることを我々は目にすることができる。ついでにいえば、植林部門が企業として独立し、現在の住友林業株式会社に受け継がれている。「住友を壊した」どころか貞剛が今日の住友を作り上げたといっても過言ではなかろう。
企業経営は、十年二十年という単位ではなく、百年という単位でみて評価されるべきものだという事実をこのことは物語っている。

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