今年の大河ドラマは、吉田松陰の妹・文が主人公である。年が明けて、大河ドラマの放送も始まった。書店の店頭にはさっそく大河ドラマ関連書籍が並んでいる。関連本は、まさに玉石混淆、良書から読むに足らない本まで幅広いので、購入前に慎重に見極めなくてはならない。
本書は、タイトルからして松陰のことを「天才」と規定したもので、松陰礼賛本であることは間違いない。その点を割り引く必要があるが、松陰の言葉が、多くの若者を国事に駆り立てた。その秘密を知りたいと想い、この本を手に取った。
門下生の一人、渡邉蒿蔵(旧名・天野清三郎)によれば、松陰は「背丈は高からず。痩せていて。顔色は白っぽく、天然痘のあばた痕があった。おとなしい人で、言葉遣いは甚だ丁寧だった」という。入門希望者が教授を願うと「教授などはできないが、一緒に研究しましょう」といい、幼い生徒には松陰自ら風呂敷包みを背負わせ、玄関まで送ってやった。松陰は「婦人のようだった」という同時代人の証言もある。その印象からすれば、今年の大河ドラマの松陰は、あまりに男性的で証言からほど遠い。
ただし、吉田松陰という人は、見た目の優しさとは裏腹に、極めて過激で、剛直で、感情の起伏が激しい人であった。本書で紹介される松陰の言葉は、いずれも激烈である。時に松陰は江戸や京都に遊学する塾生に言葉を送る。「往け六人、本藩方に飛耳長目を以って務めと為す。爾等を使ふ所以なり。」飛耳長目とは、松陰の好んだ言葉で、平たく言えばスパイのことである。こうした熱い言葉をはなむけに贈られた若者は、やはり奮い立たざるを得なかったであろう。
松陰は、塾生に見たこと、聞いたことを書き留めておくことを推奨した。もちろん本人も日記や本の抄録をせっせと記録した。そのために常に指にはタコができていたというくらいで、お蔭で我々は松陰の思想や行動の背景を手に取るように知ることができる。
松陰によれば「今年抄録した箇所が、来年になればこんな所をなぜ抜き書きしたかと愚かに見える。その翌年にまた抄録すると、前年のものが愚かに見える。それだけ年々、自分の知識が向上している徴(しるし)だ」というのである。
なるほど…と思うが、なかなか実践できるものではない。私も、読んだ書籍は、できる限り感想を書き残すことにしているが、確かに振り返って自分の書評を読むと、自分がこんなことに関心を示したのかと思うことも多々ある。偉人の言だからというのではなく、お勧めしたい習慣である。
本書は、タイトルからして松陰のことを「天才」と規定したもので、松陰礼賛本であることは間違いない。その点を割り引く必要があるが、松陰の言葉が、多くの若者を国事に駆り立てた。その秘密を知りたいと想い、この本を手に取った。
門下生の一人、渡邉蒿蔵(旧名・天野清三郎)によれば、松陰は「背丈は高からず。痩せていて。顔色は白っぽく、天然痘のあばた痕があった。おとなしい人で、言葉遣いは甚だ丁寧だった」という。入門希望者が教授を願うと「教授などはできないが、一緒に研究しましょう」といい、幼い生徒には松陰自ら風呂敷包みを背負わせ、玄関まで送ってやった。松陰は「婦人のようだった」という同時代人の証言もある。その印象からすれば、今年の大河ドラマの松陰は、あまりに男性的で証言からほど遠い。
ただし、吉田松陰という人は、見た目の優しさとは裏腹に、極めて過激で、剛直で、感情の起伏が激しい人であった。本書で紹介される松陰の言葉は、いずれも激烈である。時に松陰は江戸や京都に遊学する塾生に言葉を送る。「往け六人、本藩方に飛耳長目を以って務めと為す。爾等を使ふ所以なり。」飛耳長目とは、松陰の好んだ言葉で、平たく言えばスパイのことである。こうした熱い言葉をはなむけに贈られた若者は、やはり奮い立たざるを得なかったであろう。
松陰は、塾生に見たこと、聞いたことを書き留めておくことを推奨した。もちろん本人も日記や本の抄録をせっせと記録した。そのために常に指にはタコができていたというくらいで、お蔭で我々は松陰の思想や行動の背景を手に取るように知ることができる。
松陰によれば「今年抄録した箇所が、来年になればこんな所をなぜ抜き書きしたかと愚かに見える。その翌年にまた抄録すると、前年のものが愚かに見える。それだけ年々、自分の知識が向上している徴(しるし)だ」というのである。
なるほど…と思うが、なかなか実践できるものではない。私も、読んだ書籍は、できる限り感想を書き残すことにしているが、確かに振り返って自分の書評を読むと、自分がこんなことに関心を示したのかと思うことも多々ある。偉人の言だからというのではなく、お勧めしたい習慣である。
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