史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

米沢 Ⅲ

2016年03月07日 | 山形県
(中央四丁目)


銀山温泉(尾花沢市)

 この年末年始は、長女の発案で山形県尾花沢市の銀山温泉で過ごすことになった。山間の雪深い土地で、温泉に浸かることと食事以外あまりすることがない。家族は正月番組を見て過ごしているが、私はダラダラと時間を過ごすのが苦手で、元旦の朝から旅館の送迎バスに乗ってJR大石田駅まで出て、そこから米沢に移動した。同じ山形県内といえ、北端の新庄に近い大石田から南部の米沢への移動は、ほぼ山形県を縦断するに等しい。在来線と新幹線を乗り継いで二時間余りでようやく米沢に至る。これで米沢の街を探索するのも三回目になる。今回は駅前のレンタカー屋さんで自転車を借りて、北部小学校近くの吉田松陰旅宿の地が唯一の目的地である。粉雪の舞う中、自転車で三十分足らずで無事に行き着いた。石碑のすぐ脇の「中央四丁目」のバス停が目印である。
 信号待ちしていると、地元の方から声をかけられた。この時期に自転車に乗っているのが余程珍しかったのであろう。
「今年は雪が少ないけど、普通の正月は雪で自転車なんか乗れないからね。今年は特別だよ。」
という。銀山温泉でも、普段この時期であれば、人の背丈よりも高く積雪があるらしいが、さほどでもない。

 吉田松陰旅宿の地碑は、粡町(あらまち)通り沿いにある。粡町は最上街道の入口に位置し、江戸時代には町人街として大変賑わった場所である。松陰は、嘉永五年(1852)三月二十五日、東北旅行の途次、長崎以来の知友米沢藩士高橋玄益を訪ね、諸学士と談合をしようと、この地にあった旅籠遠藤権内方に宿をとった。しかし、たまたま藩主上杉斉憲が参勤交代で江戸に出る前日と重なって、果たせなかった。


吉田松陰旅宿の地

 米沢滞在時間はわずかに一時間であった。自転車を返却すると在来線で大石田経由で銀山温泉に戻った。宿に戻ったのは夕方であった。元旦から贅沢な旅であった。家族は、朝の風景と変わりなく、ふとんに横たわっていた。

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