史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

柏崎 Ⅲ

2011年09月12日 | 新潟県
(妙行寺)


妙行寺

山県有朋、黒田清隆に率いられた新政府軍は鯨波での戦闘に勝利し、柏崎に進軍して妙行寺を本陣とした。


贈正五位星野藤兵衛之墓

星野藤兵衛は、文政十一年(1828)に柏崎に生まれた。柏崎の豪商である。勤王の志をいだき、同志を集めて兵器糧食を蓄えた。戊辰戦争がはじまると、高田に進駐した北陸道鎮撫総督兼鎮撫使高倉永祜と連絡をとり、桑名の恭順派吉村権左衛門と図って新政府軍のために探査活動に従事した。明治元年(1868)五月、民政局御用掛、ついで町村取締役を命じられて多大な功績があった。このために藤兵衛は家財を傾けたが、その功により終身三人扶持を賜った。明治九年(1876)年四十九で没。


加賀藩士戦死者の墓

妙行寺墓地には、加賀藩戦死者の墓がある。


勤王志士吉村君墓地

桑名藩の勤王派吉村権左衛門の墓である。吉村は桑名藩の家老職を務め、たびたび恭順を藩主定敬に説いたため、藩内抗戦派の反感を買い、慶応四年(1868)閏四月、斬殺された。

(聞光寺)


聞光寺


金沢藩士戦死者の墓

聞光寺には、明治元年(1868)五月から六月にかけてこの周辺で戦死した加賀藩士の墓が並べられている。

(勝願寺)


勝願寺


松平定敬公本陣跡

柏崎陣屋跡に近い勝願寺は、桑名藩主松平定敬が本陣を置いた。鯨波の戦いを皮切りに会津から函館五稜郭まで各地を転戦した。戦後、戦死した藩士の追悼に心を砕き、勝願寺にも生涯三度訪れている。


松平定敬筆 大藤山

勝願寺の山号額は松平定敬の揮毫したものである。


舊桑名藩士戦没墓

明治十七年(1884)桑名藩戦没者十七回忌を行った際に建立されたもの。碑面は松平定敬の書。


桑名藩士墓

戦死した桑名藩士三十三名の合葬墓である。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 柏崎 Ⅱ | トップ | 柏崎 Ⅳ »

コメントを投稿

新潟県」カテゴリの最新記事