goo blog サービス終了のお知らせ 

史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「怪」 綱淵謙錠著 中公文庫

2010年04月13日 | 書評
これも父の書棚から拝借してきた本である。綱淵氏の特徴である一字の題を付された十の小編が収録されている。「恋」「狼」「霊」「怪」「約」「瞑」「兆」の七編は、神秘的・超合理的現象をテーマとした小説で、個人的にはあまり興味はない。「脱」「獄」「魄」の三篇は、幕末の会津を題材としたものであるが、特に末尾の「魄」は、死体の近くに血縁者を感じると、鼻血を出したり歯茎から血を流して自分の存在を知らせるといった超合理的現象を描いて、やはり前の七編と同質の不気味な味わいの小説である。
「脱」は、元白虎隊士山川健次郎(のちの東京大学、京都大学、九州大学総長)が、国許を脱して長州藩出身の奥平謙輔のもとに走り、アメリカへ渡航するまでを描いた作品である。
「獄」は、広沢安任とともに投獄された武川信臣が、拷問を受けた末に斬首されるまでを描く。武川信臣は、会津藩の名門内藤家の出で、長子は内藤介右衛門、次子は梶原平馬というともに戊辰戦争時に家老を務めていた。信臣は第三子であったが、彰義隊に走り新政府軍に徹底抗戦を貫いた。
いずれも会津藩の悲劇を描いて、静かな感銘を呼ぶ作品となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「幕末時代劇、『主役』たちの真実 ヒーローはこうやって作られた!」 一坂太郎著 講談社+α文庫

2010年04月13日 | 書評
一坂太郎氏の著作に「幕末歴史散歩 東京篇」「同 京阪神篇」(中公新書)などがあるが、こういった本を読むと、この人は本当に幕末という時代が好きなんだなということがにじみ出ている。「幕末時代劇、「主役」たちの真実」も著者の幕末好きが書かせた作品と言えるだろう。今となっては、その辺のレンタルビデオ屋では借りることもできないような戦前の映画まで紹介されていて、極めてマニアックである。一坂氏は私より五つ年下であるが、どうしてこんな古い映像まで御存知なのか、感心するばかりである。
NHKの大河ドラマは、ほぼ同じ作品を見てきたはずであるが、さすがに著者の批評は鋭い。私は「獅子の時代」(昭和五十五年)は、不朽の名作だと思っていたが、視聴率は振るわず、NHKとしては失敗という位置づけだったのですね。「獅子の時代」以降、大河ドラマでは決まって「偉人」「英雄」を取り上げることになってしまう。著者は「『獅子の時代』の失敗は一放送局の問題ではなく、国民の歴史観にも影響を及ぼすような重大事だったのではないか」と警鐘を鳴らす。
かつてNHKの大河ドラマといえば、司馬遼太郎先生の小説や「花の生涯」「勝海舟」など、名作を映像化しようという意欲が感じられたものであるが、アイドルを主役に据えて大衆に迎合した軽薄なものになったのは何時頃からだろうか。最近の大河ドラマを見ていて思うのは、どこまで史実から離れることが許されるのかということである。「篤姫」の原作は、いうまでもなく宮尾登美子原作であるが、原作にも史実にもない、小松帯刀と篤姫の恋愛などが物語の中心に置かれていた。現在放映中の「龍馬伝」にしても、坂本龍馬と岩崎弥太郎が幼い頃からの友達のように描かれているが、史実で確認できている二人の接触は、龍馬の死の年、慶応三年(1867)のわずかな期間のみである。小説やテレビドラマは所詮創作だと割り切れば、いちいち目くじらを立てる必要もないかもしれないが、大河ドラマは影響も大きいだけにちょっと心配なのである。
坂本龍馬について
――― 近年の龍馬を描く映画やドラマは、単純に万人が喜ぶ理想の青年像を龍馬を通じて追い求めようとしている感じを強く受ける。だからどんどん美化され、特に若い崇拝者が増えてしまうのだ。
との指摘は、正鵠を射ている。著者は別の頁でも「龍馬暗殺が必要以上に「謎」とされてしまった」と言及しているが、「龍馬ブーム」は行き過ぎた美化や賞賛が、歴史を歪めてしまった端的な例であろう。

私はさほど映画好きというわけではないが、最近この本でも紹介されている「長州ファイブ」という映画をDVDで見た。「長州ファイブ」と呼ばれる五人には、伊藤博文や井上馨のように有名な人物もいるが、あまり日の当てられることのない山尾庸三や井上勝、遠藤謹助といった人物群に着目したところが新鮮であった。確かに一坂氏が指摘するような不完全さは散見されるものの、このようなマイナーな史実や人物に照明をあてるような作品は大歓迎である。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする