(池野辺 天狗党首塚)
前回どこまでお話ししましたっけ。そうでしたね。二度も笠間を訪れたというのに、天狗党関連史跡に辿りつけなかった、それで笠間市役所に苦情のメールを送りつけたというところで終わっておりました。
その後、笠間市教育委員会は、私のメールに真摯に応えてくれた。詳細の地図にそれぞれ赤や緑で導線まで入れたものを送ってきたのである。この地図を片手に三度目の笠間に挑むことになった。
天狗党首塚
池野辺の天狗党首塚は、笠間市教育委員会の手作りの地図がなければ、絶対に行きつけないようなかなり難しい場所にある。市原から大橋方面に落ちのびる途中、この地で死亡した天狗党員を土地の人たちが葬ったものである。
(川俣七郎自刃の地)
贈従五位川俣茂七郎君墓
川俣茂七郎は、出羽松山の人。天狗党から分かれて横浜の夷人襲撃を企てたが、幕府追討軍の攻撃を受けて壊走した。川俣茂七郎は殿軍を引き受けて大橋まで退いたが、この地で自刃して果てた。
正面の大きな碑は、大正になって建てられたもの。その背後の小さくて丸い墓石が、当時村人が建てたものであろう。
故漏岐川又君之墓(左)
右は従僕(佐埜)のものか
(阿弥陀堂)
阿弥陀堂
南友部の阿弥陀堂には、天狗党に参加した田中某の遺族が水戸の常磐共同墓地から移した墓石がある。
天狗党員田中某の墓(右から二番目)
(茶屋玄亀楼)
茶屋玄亀楼
茶屋玄亀楼には天狗党に参加した上州浪人千種太郎が逗留していたという。かの悪名高き田中厡蔵も玄亀楼に立ち寄っている。
今も土蔵を備えた建物が残っているのは嬉しいが、どうやら人が住める状態ではない。このままでは倒壊するのは時間の問題である。笠間市教育委員会に何とかしてもらいたい(敢えてメールは送りませんけど…)。
前回どこまでお話ししましたっけ。そうでしたね。二度も笠間を訪れたというのに、天狗党関連史跡に辿りつけなかった、それで笠間市役所に苦情のメールを送りつけたというところで終わっておりました。
その後、笠間市教育委員会は、私のメールに真摯に応えてくれた。詳細の地図にそれぞれ赤や緑で導線まで入れたものを送ってきたのである。この地図を片手に三度目の笠間に挑むことになった。

天狗党首塚
池野辺の天狗党首塚は、笠間市教育委員会の手作りの地図がなければ、絶対に行きつけないようなかなり難しい場所にある。市原から大橋方面に落ちのびる途中、この地で死亡した天狗党員を土地の人たちが葬ったものである。
(川俣七郎自刃の地)

贈従五位川俣茂七郎君墓
川俣茂七郎は、出羽松山の人。天狗党から分かれて横浜の夷人襲撃を企てたが、幕府追討軍の攻撃を受けて壊走した。川俣茂七郎は殿軍を引き受けて大橋まで退いたが、この地で自刃して果てた。
正面の大きな碑は、大正になって建てられたもの。その背後の小さくて丸い墓石が、当時村人が建てたものであろう。

故漏岐川又君之墓(左)
右は従僕(佐埜)のものか
(阿弥陀堂)

阿弥陀堂
南友部の阿弥陀堂には、天狗党に参加した田中某の遺族が水戸の常磐共同墓地から移した墓石がある。

天狗党員田中某の墓(右から二番目)
(茶屋玄亀楼)

茶屋玄亀楼
茶屋玄亀楼には天狗党に参加した上州浪人千種太郎が逗留していたという。かの悪名高き田中厡蔵も玄亀楼に立ち寄っている。
今も土蔵を備えた建物が残っているのは嬉しいが、どうやら人が住める状態ではない。このままでは倒壊するのは時間の問題である。笠間市教育委員会に何とかしてもらいたい(敢えてメールは送りませんけど…)。