goo blog サービス終了のお知らせ 

史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

船橋 Ⅳ

2009年10月17日 | 千葉県

(薬円台公園)


明治天皇駐蹕之處
大正六年建立 陸軍大将公爵山縣有朋の書

 明治六年(1873)この付近で近衛兵(薩長土の兵、四個大隊二千八百)の天覧演習が行われた。行幸には、徳大寺実則宮内卿、西郷隆盛、篠原国幹らが供奉した。閲兵した明治天皇から勅諭をもって「習志野ノ原」の地名が下賜された。これが習志野という地名の由来となっている。
 この大演習が行われたのは、征韓論により政府が分裂する寸前のことであった。司馬遼太郎先生の「翔ぶが如く」では、演習の様子を次のように描いている。
――― 演習中、ずっと雨であった。帝は馬に乗り、西郷はその背後をずぶぬれになりながら徒歩で従った。このときの西郷の服装は陸軍大将の正装で、腹を白帯でぐるぐる巻きにし、太刀を帯びていた。足はわらじばきである。
 演習場での高級指揮官たちはみな馬に乗っていた。桐野少将などはフランス風の軍帽を目深にかぶり、革製の長靴をはき、馬腹にサーベルを吊るして颯爽と草の上を駈けていたが、西郷はずっと徒歩のまま終始した。(「翔ぶが如く」 ~鍛冶橋~)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする