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史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

富里

2009年09月12日 | 千葉県
(大久保卿牧場選定の碑)
 成田空港の一つ手前の富里ICで東関東自動車道を降りて、市役所などのある市街地を抜けると田園地帯が広がる。実は、富里は大久保利通に所縁の深い場所なのである。


明治八年前内務卿従三位大久保利通茲選定牧羊場跡

 明治八年(1875)内務卿に就いた大久保利通は、軍隊および国民生活の近代化のために毛織地の需要が高まることを予期し、近代牧畜の必要性を説いた。これを受けて東京勧業寮試験場内に牧羊開業取調掛を置くことになり、富里の町も牧羊場の候補地として挙げられた。大久保利通自らがこの地を訪れて高い土手に登って四方を望見し、ここを適地と定め下総牧羊場を開設することになった。

(富里牧羊場跡)
 昭和三十年(1955)、大久保利通の業績を顕彰するためにこの地に顕彰碑が建てられた。


富里牧羊場跡碑

コメント (4)
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市川

2009年09月12日 | 千葉県
(弘法寺)
 朝から空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうであった。天気予報でも「曇のち雨」となっていたので、雨が降るのは時間の問題であった。念のため監督に電話で確認してみたが、予定とおり練習を決行するという。
 一時間半をかけてわざわざ八王子から市川まで野球の練習のために出かけていくというのもなかなか面倒なことだが、市川まで行って雨で中止というのはあまりに悲しい。
 市川研究所のグラウンドに着いた頃にポツリポツリと降り始め、キャッチボールが終わったところで本降りになってしまった。しばらく様子を見ていたが、雨脚は激しくなるばかりであった。結局、練習は中止となり、私はこの機に市川と富里の史跡を訪ねることにした。転んでもただでは起きないの精神である。

 市川は大鳥圭介、土方歳三らが結集し、反攻の起点となった地点である。市川大林寺に伝習隊大鳥圭介、新選組土方歳三、会津藩秋月登之助、内田衛守、柿沢勇記、桑名藩立見艦三郎らが集結したのは、慶応四年(1868)四月十二日のことであった。大林寺における軍議の結果、総帥に大鳥圭介が選出された。兵力は二千三百六十という大軍であった。同日午後、早くも北に向けて進発し、翌日以降、土方歳三の率いる前軍は小金から分かれて東北へ進み、大鳥圭介の本隊は北上して日光を目指した。


弘法寺
現在のJR市川駅の北側にあったという大林寺は既に廃寺となっているが、大鳥隊を追う新政府軍が駐屯した弘法寺と総寧寺は現存している。

(総寧寺)


総寧寺

 大林寺における軍議があった前日、江戸を脱出した土方歳三ら新選組残党は、国府台の総寧寺に一泊したという。総寧寺には里見公園という広い公園が隣接しているが、かつてこの公園の敷地も境内の一部だったらしい。

コメント (2)
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