(大久保卿牧場選定の碑)
成田空港の一つ手前の富里ICで東関東自動車道を降りて、市役所などのある市街地を抜けると田園地帯が広がる。実は、富里は大久保利通に所縁の深い場所なのである。
明治八年前内務卿従三位大久保利通茲選定牧羊場跡
明治八年(1875)内務卿に就いた大久保利通は、軍隊および国民生活の近代化のために毛織地の需要が高まることを予期し、近代牧畜の必要性を説いた。これを受けて東京勧業寮試験場内に牧羊開業取調掛を置くことになり、富里の町も牧羊場の候補地として挙げられた。大久保利通自らがこの地を訪れて高い土手に登って四方を望見し、ここを適地と定め下総牧羊場を開設することになった。
(富里牧羊場跡)
昭和三十年(1955)、大久保利通の業績を顕彰するためにこの地に顕彰碑が建てられた。
富里牧羊場跡碑
成田空港の一つ手前の富里ICで東関東自動車道を降りて、市役所などのある市街地を抜けると田園地帯が広がる。実は、富里は大久保利通に所縁の深い場所なのである。

明治八年前内務卿従三位大久保利通茲選定牧羊場跡
明治八年(1875)内務卿に就いた大久保利通は、軍隊および国民生活の近代化のために毛織地の需要が高まることを予期し、近代牧畜の必要性を説いた。これを受けて東京勧業寮試験場内に牧羊開業取調掛を置くことになり、富里の町も牧羊場の候補地として挙げられた。大久保利通自らがこの地を訪れて高い土手に登って四方を望見し、ここを適地と定め下総牧羊場を開設することになった。
(富里牧羊場跡)
昭和三十年(1955)、大久保利通の業績を顕彰するためにこの地に顕彰碑が建てられた。

富里牧羊場跡碑