12月24日(土)
弘前の朝は雪が降り続けていた。弘前市役所前からの野田村行きのバスに、ハンサムウーマンの皆様と、法人のクリスマスプレゼントである、お菓子の詰め合わせやカレンダーをバスに積み込んだ。気温が少し高いせいか、雪が滑りやすく荷物を持ったまま思わずきれいに「つるり」と転倒した。
4名のボランティアが市役所前から乗車し、参画センター前で停車。クリスマスプレゼントをここでも積み込む。4名で下車して、段ボールの詰め合わせプレゼントをバスに積み込もうとした時事故が起きた。私の前を歩いていたKさんが、すってんと転倒して動けなくなったのだ。冗談かと思ったが、足首をやったらしい。救急車を呼び、市の職員にKさんを依頼してバスはまた弘前大学へ向かった。今日は弘前大学ボラセンは一年生を中心に32名、合計36名が乗車した。(事務局の先生が2名)
Kさんの転倒事故の続報が市職員から入ったが、結局彼は国立病院へ1か月間入院となった。そして第二報は、27日に手術とのことだった。
野田村へ9時30分野田村着。野田村は太平洋に面しているので、まったく雪もなくて今日は快晴である。全員がおなじみとなった黄緑色のヤッケを着込み、今日の活動が始まった。
今日の目的はまず役場前のクリスマスツリーの飾りつけと、クリスマスプレゼントを野田村の子供たちに渡すことだった。しかしそれにしても、海風がやけに冷たい。
私と学生4人で、サンタクロースを担当することになった。
公民館の2階で児童会が開催されており、そこにいる20名ほどの子供たちにプレゼントを持参した。やっつけの芸ではあったが、身振り手振りを交えてのマザーグースの歌を披露した。
「えっさかほいさ、猫にバイオリン、牝牛が月を飛び越えた。子犬がそれ見て大笑い、そこでおさらばすると一緒に、おさらばさ」
そしていよいよプレゼントを子供たちに手渡した。たくさんの善意が詰まったプレゼントを、野田村の子供たちは純粋に喜んで手にした。
その後村役場の防災無線放送で案内をしてもらって、午後3時までに希望者役場前に来ていただくことになった。
親子連れやおじいさんやおばあさんが孫のためにと、プレゼントをもらいに三々五々やってきて感謝をこめてお礼を述べて行った。
体の芯まで冷気がしみこみ、ようやく3時終了した。
帰る前に米田地区の米田さんというおばさんが、豆腐田楽をご馳走するから来いということで立ち寄った。
プレハブの店にはおばさんが3人豆腐田楽を炭で焼いていた。
味噌だれの焼けるおいしそうな匂いに、小腹がすいていたことと寒さに打ち震えていたので、そのごちそうはとってもありがたかった。
みんなで満足してお別れをし、野田村を後に一路弘前を目指した。
寒風吹きすさぶ中でも、野田村の復興工事が進んでいた。
今度野田村を訪問するのは、年明けの1月15日(日)小正月である。子供たちの純粋なサンタさんとのふれあい・・・。
2歳の子供を連れたお母さんが、少しの水たまりを見ても「津波こわい」と叫ぶとか、娘がうつ病になったが、なおるだろうか・・・?など様々なPTSD症候群が癒されずにあることを知った。
私たちのできることは、果たしてどういうことだろうか・・・。
弘大のS先生は帰途の車中で、「自分は30年ほど児童劇をやって来た。今度なりたさんいっしょにやりませんか・・・?」そう呼びかけられた。私も少しだがそういう気持ちになり始めている。
弘前の朝は雪が降り続けていた。弘前市役所前からの野田村行きのバスに、ハンサムウーマンの皆様と、法人のクリスマスプレゼントである、お菓子の詰め合わせやカレンダーをバスに積み込んだ。気温が少し高いせいか、雪が滑りやすく荷物を持ったまま思わずきれいに「つるり」と転倒した。
4名のボランティアが市役所前から乗車し、参画センター前で停車。クリスマスプレゼントをここでも積み込む。4名で下車して、段ボールの詰め合わせプレゼントをバスに積み込もうとした時事故が起きた。私の前を歩いていたKさんが、すってんと転倒して動けなくなったのだ。冗談かと思ったが、足首をやったらしい。救急車を呼び、市の職員にKさんを依頼してバスはまた弘前大学へ向かった。今日は弘前大学ボラセンは一年生を中心に32名、合計36名が乗車した。(事務局の先生が2名)
Kさんの転倒事故の続報が市職員から入ったが、結局彼は国立病院へ1か月間入院となった。そして第二報は、27日に手術とのことだった。
野田村へ9時30分野田村着。野田村は太平洋に面しているので、まったく雪もなくて今日は快晴である。全員がおなじみとなった黄緑色のヤッケを着込み、今日の活動が始まった。
今日の目的はまず役場前のクリスマスツリーの飾りつけと、クリスマスプレゼントを野田村の子供たちに渡すことだった。しかしそれにしても、海風がやけに冷たい。
私と学生4人で、サンタクロースを担当することになった。
公民館の2階で児童会が開催されており、そこにいる20名ほどの子供たちにプレゼントを持参した。やっつけの芸ではあったが、身振り手振りを交えてのマザーグースの歌を披露した。
「えっさかほいさ、猫にバイオリン、牝牛が月を飛び越えた。子犬がそれ見て大笑い、そこでおさらばすると一緒に、おさらばさ」
そしていよいよプレゼントを子供たちに手渡した。たくさんの善意が詰まったプレゼントを、野田村の子供たちは純粋に喜んで手にした。
その後村役場の防災無線放送で案内をしてもらって、午後3時までに希望者役場前に来ていただくことになった。
親子連れやおじいさんやおばあさんが孫のためにと、プレゼントをもらいに三々五々やってきて感謝をこめてお礼を述べて行った。
体の芯まで冷気がしみこみ、ようやく3時終了した。
帰る前に米田地区の米田さんというおばさんが、豆腐田楽をご馳走するから来いということで立ち寄った。
プレハブの店にはおばさんが3人豆腐田楽を炭で焼いていた。
味噌だれの焼けるおいしそうな匂いに、小腹がすいていたことと寒さに打ち震えていたので、そのごちそうはとってもありがたかった。
みんなで満足してお別れをし、野田村を後に一路弘前を目指した。
寒風吹きすさぶ中でも、野田村の復興工事が進んでいた。
今度野田村を訪問するのは、年明けの1月15日(日)小正月である。子供たちの純粋なサンタさんとのふれあい・・・。
2歳の子供を連れたお母さんが、少しの水たまりを見ても「津波こわい」と叫ぶとか、娘がうつ病になったが、なおるだろうか・・・?など様々なPTSD症候群が癒されずにあることを知った。
私たちのできることは、果たしてどういうことだろうか・・・。
弘大のS先生は帰途の車中で、「自分は30年ほど児童劇をやって来た。今度なりたさんいっしょにやりませんか・・・?」そう呼びかけられた。私も少しだがそういう気持ちになり始めている。