夢発電所

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12月の野田村~ガレキボラ

2011-12-11 10:01:17 | チームオール弘前


12月10日(土)

 朝6時、弘前市役所指定の場所から、災害ボランティアの定期バスの座席に身を沈めた。出発地のボランティア乗車は、シルバー世代の市民ボラ6名のおっさん、おばさんたちである。
 弘前大学の正門前にバスが立ち寄ると、学生があふれていた。結局総勢66名が野田村に向かうこととなり、バスの補助椅子まで含め立錐の余地もなかった。

 野田村は先月初旬の、「男和佐羅比山」登山以来である。

 弘前大学は「災害ボランティア論」とかの授業があり、この授業を受ける学生たちの必須要件は野田村などの被災地へ3回以上訪問し、活動することでもあるらしい。そしてこの日は国民宿舎「えぼし荘」での、午前午後の「震災論」「復興論」「野田村の歴史」などの授業と「足浴」実習活動である。
 災害ボラチームは八戸高等専門学校の生徒5名と、チームオール弘前の市民10名と学生の総勢20名ほどがチームを組んだ。
 現場は役場からほど近い場所の、N洋服屋さん周辺の側溝や住まいの玄関先の泥上げ作業である。

 
 
 今まで9ヶ月も経っていることもあり、汚泥はすっかり固まって堅かった。更には寒さで汚泥が固まっていてツルハシでなければ掘り起こせない。

 

 難関はこの店と隣の店の隙間が異常に狭くて、さらには側溝幅が狭くて、側溝の深さも1メートルくらいあってスコップが届かないのである。側溝にはコンクリートのフタがはめられており、これがまた凍り付いているのか、大人が二人がかりでもなかなか開かない、持てない。


 結局午前中は道具を揃えたり、作業を効果的にすすめるためのチーム編成で終了した。寒さで言語障害が感じられ、鼻水が垂れるなど結構大変であった。

 12時にお昼の会場(国民宿舎・えぼし荘)までバスで移動したが、途中から見る野田村の十府ヶ浦海岸は、今や復旧工事が最盛期であった。







 ようやく三陸鉄道の線路も復旧に向けた工事も進み始め、積み上げられていたガレキ処理作業が進んでいた。松林の流され倒れていた松の木も裁断されて積み上げられていた。ようやく野田村の商店街もプレハブが立ち並ぶなど、元の姿に戻ってきた感じであった。

 30分の昼食休憩後、また午前中の継続作業が進められた。久しぶりの肉体労働は結構作業環境の悪さや、晴れてはいたものの気温が上がらず、結構腰にも負担がかかって筋肉痛がひどくなってきた。この日の歩数計は8000歩ほどを指していた。

 結局PM2:30作業を終了し、またバス車中の人となった。

 私の野田村への12月の支援交流訪問活動は、年内ではこの日で終わりかも知れない。クリスマスプレゼントを24日に届けるための準備作業を進めている。
 1月15日は野田村の「なもみ」という行事があるそうで、これは秋田のナマハゲとほとんど同じ行事のようだ。この日は何とかまた足を運んでみたいと思っている。

 

 

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