「いのちより大切なもの」というタイトルでの、星野富弘詩画集を手にしている。この本は私の先輩Oさんの退職記念としていただいたものです。Oさん夫妻とは、子育て期間中からお力添えを頂いたりしながら、40年近くお付き合いさせて頂いています。
星野富弘さんとの出会いは1981年の出版物「愛、深き淵より」の販売を依頼されて、自分が弘前市で初めて真剣に取り組んだ社会活動かもしれません。
教員になりたての24歳の彼が器械体操の練習中に鉄棒から落下して、頚髄損傷して首から下が麻痺して現在にいたります。絶望の淵にあった彼を懸命に支えたのがお母さんと、クリスチャンでボランティアをされていた奥様との出会いだったようです。以来彼は口で筆をくわえさせてもらって、詩画を書き続けられています。
この詩画集のタイトル「いのちより大切なもの」は、「エッ?」と感じられた方も多いのではないでしょうか。「いのちにまさる大切なモノなんてあるのだろうか」という問いだと思います。
詩画集の中にも書かれていますが、2つのキーワードがあるように思います。
一つは、自身が指一本動かせなくなって、生きている意味があるのか・・・という問いです。
2つ目は、同じクリスチャン・三浦綾子さんとの出会いが大きかったようです。
三浦さんの代表作品「塩狩峠」で、峠に差し掛かった列車の連結が外れて、急坂を暴走しようとしたその時、乗務員だった車掌が車輪の下に身を投げ出してそれを停め、乗客のいのちを救ったという実話を元に小説が書かれたようです。
3つ目は「2011年3月11日の東日本大震災」と、そこで圧倒的な自然の脅威に立ち向かって自分の命を差し出して、多くの方々を救って回った人たちがいたのです。
「いのち」は尊いのは至極当たり前に思えますが、「自分のいのち」に代えても守らなければならないものの存在が、星野さんには「お母さん」という存在や、その生き方から身をもって学ばれてきた現在があるのかもしれません。
星野富弘さんとの出会いは1981年の出版物「愛、深き淵より」の販売を依頼されて、自分が弘前市で初めて真剣に取り組んだ社会活動かもしれません。
教員になりたての24歳の彼が器械体操の練習中に鉄棒から落下して、頚髄損傷して首から下が麻痺して現在にいたります。絶望の淵にあった彼を懸命に支えたのがお母さんと、クリスチャンでボランティアをされていた奥様との出会いだったようです。以来彼は口で筆をくわえさせてもらって、詩画を書き続けられています。
この詩画集のタイトル「いのちより大切なもの」は、「エッ?」と感じられた方も多いのではないでしょうか。「いのちにまさる大切なモノなんてあるのだろうか」という問いだと思います。
詩画集の中にも書かれていますが、2つのキーワードがあるように思います。
一つは、自身が指一本動かせなくなって、生きている意味があるのか・・・という問いです。
2つ目は、同じクリスチャン・三浦綾子さんとの出会いが大きかったようです。
三浦さんの代表作品「塩狩峠」で、峠に差し掛かった列車の連結が外れて、急坂を暴走しようとしたその時、乗務員だった車掌が車輪の下に身を投げ出してそれを停め、乗客のいのちを救ったという実話を元に小説が書かれたようです。
3つ目は「2011年3月11日の東日本大震災」と、そこで圧倒的な自然の脅威に立ち向かって自分の命を差し出して、多くの方々を救って回った人たちがいたのです。
「いのち」は尊いのは至極当たり前に思えますが、「自分のいのち」に代えても守らなければならないものの存在が、星野さんには「お母さん」という存在や、その生き方から身をもって学ばれてきた現在があるのかもしれません。