夢発電所

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昭和35年ごろの暮らし その2 「鍵っ子」

2012-05-01 07:02:37 | つれづれなるままに
 小学校3年生で転校したぼくは、いままでの暮らしと大きな違いに戸惑うばかりであった。その一つが住宅事情である。今まで祖父母と暮らしていた家は、部屋数が10.それも10畳以上の部屋ばかりだったのだから、新しい環境の3部屋では誰かと一所の部屋に暮らすしかなかった。
 唯一まあいいかと思ったのは、雑木林が周辺に広がっており、自然が豊かだったことだろうか。
 今でも思い出すのは時代の変化だった。電気炊飯器、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が当たり前になっていったころ。私は小学校3年生で妹は保育園、両親は共稼ぎなので、鍵をもたせられ、下校したあと米を研いで炊飯器を仕掛けるのが役割だった。それでも慣れればなんて言うことはなく、こんなに便利なものがあることを喜んだ。ちなみにあの炊飯器はナショナルだった気がするが、東芝だったろうか・・・。
 父はその頃主任クラスになっていたのか帰宅時間が遅く、おふくろも学校が遠かったこともあって妹と二人だけの夕食の時が増えていた。
  

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