夢発電所

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村上市への小旅行

2013-12-05 07:11:07 | つれづれなるままに
 実家を出て新潟市まで新幹線で向かった。そこから村上市まで特急で移動した。
約3時間散策を楽しんだ。臥牛山という城跡の山を正面に望みながら、ぶらぶら鮭街道を歩く。

 城下町の風情を残した村上の町は、この日天気もよく山茶花の赤やピンクの花が咲いて美しい。

 村上市には三面川が流れ、平安時代から鮭が上って来たという。江戸時代中期には、この鮭の漁獲が中心の財源であった。しかしその後乱獲なども原因し、鮭の不良が続いた。この危機を救ったのが青砥 武平次という武士であった。鮭はふるさとの川に必ず戻ってくるということに着目し、「種川の制」を考案、31年もの歳月をかけて完成させた。その結果飛躍的に漁獲高も増え、鮭の恵みで村上藩の財政の運上金が増加、鮭の保護とともに財政の安定につながったという。(村上観光情報「かわら版」より)


 これまでテレビやラジオで聞いていた「喜っ川」という鮭の塩引きで有名なお店を訪問するために、駅から徒歩で20分程度歩いた。山茶花やお茶の北限というだけに茶畑も広がっていた。鮭街道を歩くとあちこちの軒先に塩引き鮭が吊るされていた。

 「喜っ川」はテレビやラジオでも紹介されている有名店。お店のトイレに駆け込み、出たら主人の吉川さんと鉢合わせ。カミさんと二人で訪ねてきたことを伝えると、我々のために鮭の歴史を話してくれた。

 流暢に話される吉川さんは、立て板に水のごとく鮭のあれこれや、村上家のしきたりなども話が止まらない。

  

 鮭のヒレの部分は大事にしている奥方に食べさせる部分だという。いつも水中で鮭の腹びれは休むことがないので、身が引き締まって美味しい部分だという。しかし、そういう主人の配慮にかかわりなく、奥方は主人が食べる胸鰭の方を食べたがると言って笑わせた。

 2011年の東日本大震災の後は、鮭の漁獲が1000分の1に激減し、今年はようやく1000分の3程度に回復してきたという。

 村上の鮭は腹を全部割かず、真ん中はつながっている。これは村上藩が管理した鮭であり、武士道では腹切りは忌み嫌われた。また苦労して回帰する鮭に敬意を払ったという。

 この後「イヨボヤ会館」まで歩いて、鮭の歴史や貴重なサケ漁の道具などの展示品、鮭の採卵や孵化の行程を見た。今度は瀬波温泉あたりで一泊して、ゆっくりと臥牛山など登ってみたいと思いつつ村上を後にした。