夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

温泉浴

2012-01-20 07:00:18 | つれづれなるままに
 この数日間は快晴の日が続いて、その分朝夕冷え込んでいる。私の津軽の冬の楽しみは、なんといっても温泉浴である。それも選べるだけ、迷うほどに温泉の種類も多い。私が今通う温泉は、あたご温泉、境関温泉、長寿温泉、桜温泉、五代温泉、百沢のアソベの森いわき荘、白馬龍神温泉、鶴田町の鶴舞の湯くらいだろうか。春先から秋口は、車で遠出すれば、八甲田山の蔦温泉、猿倉温泉、大川原温泉などが楽しみの一つでもある。
 自宅から一番近い温泉までは車で7,8分。遠くても30分である。岩木山麓には温泉郷が広がり、津軽一体は温泉の宝庫で、まだ入っていない温泉はたくさんある。硫黄泉、鉄分の多い赤湯、ナトリウムの多い塩辛い温泉、明ばん泉のような赤い温泉もある。つるつるの美人の湯。とにかく安い料金設定。一番安い所で250円から高いところでも500円くらい。私はあまり利用しないが何しろサウナや露天風呂、うたせの湯もあり、朝は5時から夜は11時ごろまで開いていてくれる。家族風呂もあり、食堂、休憩所さえも付いている所がある。冬の農家の人々が、この時期最もレジャー感覚で憩いの時間をこの温泉場で過ごしている姿は、幸せそうだし楽しそうでもある。カラオケを思いっきり歌い、飲食し、合間に温泉浴もする。3月頃になればもう雪の上をカンジキをはいたりスキー板をつけて、りんご園の枝切りを始めているのだ。8月の一ヶ月と大雨や台風以外はほとんど収穫まで休みもなく働くのだ。額に刻まれた深い皺は、長年の喜びや苦しみ、そして苦労のかいなく台風に掛けがいのないりんごの果実を持っていかれ呆然としなければならなかった年輪でもある。
 そういう人々の日々のぐだめぎ(愚痴めく)を、湯壷の中で私も聞いている。温泉はただ体を温めるものではなく、無理をした筋肉の疲労をいたわり、翌朝までの快眠を保証してくれる。本当に足先までぽかぽかになって、布団の中で熟睡できる。そうすると翌朝の寝覚めもよく、つらい朝も起き上がりを約束してくれるのだ。青森県バンザイ!津軽バンザイ!温泉ありがとう!

POEM 様々な人生

2012-01-20 06:24:43 | つれづれなるままに
快晴の朝
日差しが
老人ホームを
差している
きょうも
老人T氏が
廊下から
岩木山に向かって
手を合わせている
八十歳を超えて
入所してきたT氏は
かつて
樺太へ出稼ぎに行き
それきり
家族を捨て
現地妻と家庭を持った
子を成し
平穏な日々が
続こうとしていた矢先
ソビエト軍が
終戦後の数日後
樺太は
銃弾の雨に
さらされ
彼一人だけが
いのちだけは
長らえることになった

真冬の
弘前市の
路上で
倒れていた彼は
警察に保護され
その後
精神病院に入院し
そして
老人ホームへと
入所して来たのだった
彼の家族は
妻も子も
健在だったが
当然のごとく
遺棄されたことが
仇となって
ついぞ
面会や
交流も
期待できないまま
3年が経過した
自暴自棄となった
彼は
様々な問題行動の中
退所騒動寸前となった
彼と一緒に
その朝
岩木山に合唱し
彼と対話した

余命幾ばくもなく
自分は
捨ててしまった家族に
合わせる顔もない
しかし
一度でも
子供の顔を拝み
謝りたい
そう語ったT氏
数度の
家族への連絡で
ようやく
長女だけが
面会に来てくれた
すでに長女も60歳
涙を流しての
数分間の沈黙は
50数年間の
この家族の
血の出るような
嘆きの乾くような
時間としても
流れた気がした
よく来てくれたと
T氏は涙で濡れた顔を
娘に向けた
娘も
母の悔み、恨みを
告げた後
会いたかったことを
T氏に告げてくれた
もう二度と会えないが
今こうして
父親の
元気な顔を
見ることができたと
告げていた

娘が歸った後
T氏は
最期の目的を
果たしたかのように
平安な表情で
骸となった
人間の
血を分けたことの
切っても切れない絆
恨みも
憎しみも
哀しみも
すべてを
肯定して
なお
親愛の片鱗が
つながりとして
結んでいる
説明も
意味のない
現実の
人間の
心の動き
それは
記憶として
消えずに
残るのだ