夢発電所

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井上ひさし「四千万歩の男」/第五巻読了

2012-01-14 17:50:26 | 私の本棚
1月14日(土)

 「四千万歩の男」最終巻を読了した。(675ページ)

 江戸時代の面白さは、鎖国という閉ざされたが故の面白さという感じを持つ。例えば歌舞伎の女形や、浮世絵という版画文化も江戸文化の一つではないだろうか。
 そしてもう一つ私がこれかと思うのは、江戸の町の公衆トイレ文化である。第五巻の中には、下肥がお金になるという話が出てくる。当時の野菜作りに欠かせない肥料(下肥)は、今では考えられない価値のある時代だったらしい。
 今やこの現代社会は化学肥料全盛時代であり、そんなことはドリフターズのカトちゃんでしか肥え桶を担ぐ姿でしか見ることはない。

 「四千万歩の男」の中に一貫してあるもの、それは内儀のお栄のサポートの姿かもしれない。無頓着で小心の伊能ではあるが、彼の周辺にいる彼の支援者は優しいまなざしでいつも目的の達成できるように彼を支援していた。それは伊能にとって剣がたとえ竹光であっても、彼を守る上ではこの上ないものであったはずである。
 
 結局伊能忠敬の日本全図は江戸幕府は「伊能絵図」としてしか、ほとんど評価した形跡はない。そういう意味ではこの後、ペリーが浦賀に来て慌てふためくだけで、伊能忠敬の地図そのものは幕府として使いこなせなかったということになるのだろうか。
 人生50年という時代にあって、結果77歳まで日本全土を歩き地図を作った伊能忠敬の願いは叶ったのだ。
 我々は今の時代でも、定年という隠居時代が目の前だ。その時第二の人生をどのように意味あるものにできるのだろうか。我々人間はなんのために生まれ、その命をどのように生かしきって死んでいくのだろうか。
 そのことが問われているような気がしている。