音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

冬の旅 (フランツ・ペーター・シューベルト)

2010-06-19 | クラシック (小品・その他)


シューベルトというと、やはり殆どの人は「未完成交響曲」と同時に「歌曲」を思い出すのだろう。クラシックの音楽家の中でも、とても短命であるが、これだけ多くの曲を残した人はいないが、圧倒的に歌曲が多いからそれが可能であったということも言えよう。「音楽遍歴」ても書いているように、私が通っていたピアノ教室は、ピアノを習うために声楽も必須だったので、歌曲も少しは分かる。だが、本当のところは余り好きではない。というか普段、余り聴くことがない。

私の中でこのシューベルトという音楽家が実は一般位置づけが厄介だ。というのも、私は、シューマンによってロマン派音楽が始まったと思っているし、このブログでもそう言っている。つまりはベートーヴェンからシューマンの間の音楽家というのは、ロッシーニにしてもヴェルディにしても、現代から考えると分類が難しい。だが、このシューベルトという音楽家を考えると、交響曲、弦楽四重奏曲、さらにピアノソナタというところに関しては、ベートーヴェンの後継的な役割を担っている。しかし、一方で、数多く書いた歌曲というのが、ロマン派という言い方では新しい作風であり、ムーブメントでもあった。ただ、生来健康に恵まれなかった彼は、あくまでも憶測であるが、自分の寿命も良く分かっていたのではないかと思う。兄弟も多くが早世し、彼が体力が無かったことは、未完の交響曲の多いことにも現れてはいないだろうか。自論だが、ロシアの文豪に比べ日本の作家に長編が少ないのは、筆力ではなく体力の問題であるように、シューベルトの交響曲の未完は、やはり健康のせいだと思っている。逆に歌曲(歌曲の作曲が体力が必要ないという訳ではないが)やピアノソナタが多いのは、オケの編成を考えるでもなく、器楽があればすぐにインスピレーションが沸く、そんな感覚だったのだと憶測する。同時にベートーヴェンの壁の大きさ、高さというのをこの時代の音楽家は後世の人の評価以上に、当人たちは感じ、プレッシャーだったのだと思う。シューベルトの偉大さは、その状況にあって(健康ではない身体という境遇の中で)自分の出来る分野の音楽を確立したことであろう。それでも、交響曲への夢は捨てきれず、それが、未完成でありザ・グレイトなのである。この歌曲集「冬の旅」も、所謂、シューベルトの歌曲3部作といわれる中のひとつである大作であるが、最初から失恋の心を癒す旅という主題のもとに失意の底にある心境が描かれており、そういう中で「死」というのは、唯一の慰めであるというところが現代の世相にも通ずるところがあり、人気の曲であるが、名曲「菩提樹」などはその旋律の美しさから私も夢多き青年のような歌い方をしてしまい、教室の先生に曲の意味を考えろと何度も注意されたものだが、当時小学生の自分には、失恋の心など知る由も無いというのが正直な感想ではなかろうか。

個人的には女性の声で聴きたいが、やはり曲の内容から、圧倒的に音楽ソフトも男性声楽盤である。


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