音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

夏の夜の夢 <序曲・付随音楽> (フェリックス・メンデルスゾーン)

2009-11-18 | クラシック (小品・その他)


誰がなんと言おうと、今年のクラシックのメモリアルはメンデルスゾーンの生誕200年なのであって、ハイドン没後200年ではない。いや、別にそんなことはどうでも良いのだが、年末になってそんなことが叫ばれているようである。メンデルスゾーンの生誕日は2月3日なのに・・・。というか、私の中では昨年からそういう方針だったので、結構この人の音楽を例年に比べ意識的に沢山聴いたと思う。そして、彼が、ベートーヴェンとブラームスを継いだ功績は大きなものだったと思う。もうひとつ、時代的なものがあったかもしれないが、その繋ぎ役は決してシューベルトではないということも大変良くわかった一年だった。だから来年は音楽業界ではマーラー生誕150年を打ち出したいらしいし、一方ですっかり定着したクラシック・イベント、5月の「熱狂の日」は生誕200年を記念してショパンがテーマだそうだが、私にとっては、続メンデルスゾーンという意味も込めて、来年はシューマン生誕200年なのである。因みに、2011年はリスト生誕200年のメモリアル・イヤーにすることを今から断言しておくぞ。

ところで、私は近年、映画作品における「ミュージカル」というのが、何とかならないものか、ずっと映画のブログで悩んできた。そして幾つかの提言もしたが、相変わらず今も悩んでいる。どうしてミュージカル映画ってあんな程度のものしか出来ないのであろうか。そして、では、どんな風に作ったらよいのかっていう素晴らしい手本のひとつがこの「夏の夜の夢」である(このことは映画ブログの何処かにも書いた)。なぜこの作品が素晴らしいのか。それは、シェイクスピアという天才戯曲家の作品が時を越えて、天才音楽家の手によって見事に蘇った、「時を越えたコラボ」であるからだ。そもそもは序曲としてピアノ曲をなんと17歳のときに作曲していたが、これはやはり天才の姉、ファニー・メンデルスゾーンとのピアノ連弾のための曲であった。ご存知のように、メンデルスゾーンは音楽家には珍しく超リッチな家の生まれで社会的地位も高かったが、幼少の頃、音楽家として将来を嘱望されたのは姉のファニーの方であり、教育ママはつくづく、「ファニーが男だったら・・・」と宣っていたそうである。フェリックスより天才ってどんな少女だったのだろう。他にも沢山逸話があって、姉が余りにもヴァイオリンその他の弦楽器の演奏が上手なので、フェリックスはピアノに走ってしまったとか、いや、ピアノでもファニーにフェリックスはおいてかれたとか、まぁ姉にはタジタジだったらしい。しかし、この序曲を17歳で書いたというが完成度は高い。その完成度の高い曲を、姉を初め回りの薦めもあってオケに書き直したのが現在に残る序曲である。更に、かなり後になってからこの戯曲の「劇付随音楽」として完成させるのである。日本では、やはりコア・クラシックファンでないと内容までは把握していないため、字幕ではなく、日本語での朗読の後に音楽を演奏するという組立が多いが、ちょっと待って欲しい。このどちらも有名な芸術作品なので、少なくとも、この「夏の夜の夢」を鑑賞しようという輩は、まずシェイクスピアの戯曲は何度も読んで覚えて欲しいし、同時にメンデルスゾーンの音楽も高々1時間程度なのだから、すべて覚えた上で、このコラボレーションを鑑賞して欲しい。つい最近まで、アングラのシェイクスピア劇の上映でも、ダントツに多かったのは、やはり彼の作品の中では理解しやすい内容だからでもあり、そして、それを見事に音で再現したのがこの付随音楽だからであろう。かくいう私も学生の時に、このコラボには挑戦をしてみた。音楽は編成をオケではなく、ピアノを中心としたバンド形式にして、芝居の部分はミュージカルっぽい実験舞台を創作した。この名曲を恐れ多くも少し変奏してみたりした。実に評判が良かったが、あの当時、結構このパターンで公演する劇団が多かったと思う。

もうひとつ、結婚式の二次会の入場の時に、青山のクラブでこの「結婚行進曲 ハ長調」がアルテックのスピーカーから流れた時の音の良さには感動して涙が出てしまった。私はそのまま半泣きで入場し、それを見たパーティ客も感動してくれたが、あれから20年。メンデルスゾーンは生誕200年。なにか縁があるような気がしてならないが、気のせいか??


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