音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

交響曲第8番ハ長調「ザ・グレイト」 (フランツ・ペーター・シューベルト)

2009-08-15 | クラシック (交響曲)


シューマンの交響曲第1番鑑賞文のところで少し触れたが、シューマンがシューベルトの死後、彼の自室を表敬訪問した際にに発見した楽譜がこの「未完成」の交響曲である。シューベルトには未完成の交響曲が、所謂ロ短調第7番以外にもたいへん多く、発見さけているだけで、5曲あるが、例えば第7番の初稿だと思われるものや、同じ曲にしようと思った各楽章のみの楽譜などを併せると確かな曲数は分からない。特に最初の交響曲は16歳で書いているから驚きであるが、それよりもこの楽譜を発見したときのシューマンの驚きぶりは相当なものだったと予想される。この「グレイト」というタイトルからして、勿論、後世に付けられたものだが、シューマンが楽譜を発見したときに名づけたとか、ベートーヴェンの第9番を引き継ぐ、素晴らしい完成度につけられたとか、大体英語のタイトルというのは、楽譜の出版社がイギリスの会社だったからであるが、その驚きのひとつに、シューベルトのオリジナルをそのまま再現すると兎に角演奏時間が長く70分は係るという大作で、この楽曲の演奏を依頼されたメンデルスゾーンは、何箇所にもわたるリピート箇所を削りに削って、なんとか60分以内の曲に収めて演奏をしようとち試みたが、それでは良くないとシューマンと意見が分かれたりの一悶着もあり、結局は指揮者としても経験豊富にメンデルスゾーンの意見を受け入れ、削除バージョンで公演されたが、その後ロンドンで演奏をしようとしたときには楽団員から「演奏不可能」というレッテルを貼られていた。実は、シューベルトにはもう1曲ハ長調の交響曲(第6番)がありそれよりも規模の大きな曲なので「大ハ長調」という意味で「ザ・グレイト」と付けられただけというのが定説の様だ。

第1楽章はホルンで始まるが、ここにもシューマンが、真剣にベートーヴェンに続く、ロマン派のシンボルになるような交響曲を如何に模索していたかということを証明するように、自分の交響曲第1番のホルンで始めている。本当に、シューマンという人は真剣にドイツ音楽について心配していた人だったというのがこういうところにも現れている。因みにメンデルスゾーンの第2番も序奏はこんな感じだし、このホルンの出だしというのは、後世の音楽家にジャンルを問わず影響を与えている。そう、ベートーヴェンにはなかった序奏のパターンである。そして、この曲が専門家の間で意見が分かれつつも「ベートーヴェンへの決別」という言い方をする論拠として、ベートーヴェンように、音をひとつひとつ積み上げて、クライマックスに向かって一気に盛り上がる起承転結タイプとは全く異なり、音を何度も何度も繰り返すことによって自然に重なり合っていく、響きあっていく中で全体を構成していくという音楽の小宇宙的空間を創り上げていくという手法をこの一曲で極めたことは、ロマン主義時代の到来を創作したのだという点で、非常に評価される作品となった。シューマンの発見は音楽史上最大の発見といえる(音楽史を変えたのであるから)大事件で、しかもメンデルスゾーンが発表には全面的に関与するという、現代から考えると、なんとまるでフィクションの様な出来事なのだろうかと感激するばかりである。

しかし、没後に見つかった曲だから番号もロ短調未完成より後になっているが、これだけの楽曲を作っていながら、またまた謎に思うのは、ロ短調交響曲が完成できなかったことにある。この曲と比較すると明らかに「陰と陽」でもある。答えは幾つかあるが、もしかしたら、この第8番も第2楽章までしかできてなくて、実は、後の2楽章は誰かが付け加えた? それずできるのはメンデルスゾーンとシューマンしかいない。実はどことなく、第3楽章のスケルツォはシューマンっぽくないか? 第4楽章はメンデルスゾーンが基礎を書き、途中のベートーヴェンを彷彿させる箇所はシューマンが手直ししていないか。そんな憶測をしてしまう。また、この楽曲が第7番の後に書かれた、失われた交響曲といわれる「グムンデン・ガスタイン交響曲」ではないのか? そうなるとシューマンが発見したときはまだ後半が書かれていなかったかも・・・。こんないい加減で罰当たりな憶測すら許されてしまうほど、当時のロマン主義の確立は一大事業であり、そして、唯一間違っていないのは、この曲があったからこそ、後々のブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチの音楽に繋がっているという事実である。その事実はシューマンしか知らないのである。


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