インターネットを見ていたら、以下の記事が目に止まりました。
以下、引用です。
育の日、出雲全日本大学選抜駅伝をテレビで、感慨深く観戦した。大会新記録で優勝した駒沢大のレースぶりに感動しただけではない。「25回目となった大学三大駅伝の一つ」。アナウンサーがそう伝えていたことに、昔のことを思い出したのである。もう四半世紀もたって、大会がそこまで成長したかという感慨だった。
10月は神無月と呼ばれる。しかし、出雲(島根)に限っては神在月。八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まり、全国の縁結びについて相談するという神話に基づく命名だ。
「この月に、全国選りすぐりの選手たちを集めたスポーツイベントができないものか」
平成元(1989)年、そう考えて始まったのが同駅伝である。だから地元では「神在月駅伝」と呼ばれる。
発案者は、その年の4月に出雲市長になったばかりの岩國哲人氏だった。米大手証券メリルリンチ社の副社長から郷里の市長に転じた岩國氏は、財界の人脈をフル活用してスポンサーを集め、就任半年で同駅伝を実現した。
経済人ならでは、の施策はダイナミックだった。若者が流出するのと流入するのでは、経済効果の上下が大きく違うと言って、大学を誘致した。地場産業の林業を売り出すため、として日本最大の木造ドーム「出雲ドーム」を建設した。樹医制度を創設したのも同じ狙いだった。
「行政は最大のサービス業」
その観点からショッピングセンターに市のサービスコーナーを設けて土日業務も始めた。「働く市民が利用しやすい行政サービスを」。そう考えれば、当然の措置だが、そうした視点から役所業務を見直す首長は当時、極めて珍しかった。
出雲が発した“2つの太陽”
地方の旗手、ともてはやされた岩國氏の市政は、2期目の途中、約6年で終わった。岩國氏がより大きな活躍の場を求めて、東京都知事選に出馬したからである。市長就任時、「NYから来た市長」という連載で岩國氏に密着取材していた筆者は当時、有力候補者がいなかった大阪府知事選への出馬を勧めたが、東大卒の岩國氏は東京にこだわり、東上し、そして青島幸男氏に敗れた。
衆院議員を最後に政界を去った岩國氏を今、懐かしさも交えて思い出すのは岩國市政に、神話連載で取材したオオクニヌシノミコトの国造りを連想するからだ。
オオクニヌシの国造りは、各地の女神と通婚するという形で描かれる。その範囲は九州・宗像から北陸の越までと、古代日本の交通事情を考えると実に広い。そのためにオオクニヌシの正妻のスセリビメが嫉妬し、歌を詠んでオオクニヌシの旅を止める件にも、古事記は紙幅を割いている。
古事記では、オオクニヌシは4つの別名でも描かれる。その1つ、八千矛神(やちほこのかみ)が求婚の際に登場する名である。ヤチホコはその字の通り、無数の矛を持つ武神で、オオクニヌシの国土平定が武力を背景にしたものだったことを示す、という説もある。しかし、古事記が明示しているのは、海から来たスクナビコナノカミと協力してオオクニヌシが国造りを進めたという点だ。スクナビコナは医療知識を持った渡来神と解釈され、国造りが、医療と農業知識を普及させて服させることだったことが読み取れる。
顔を向けるべき相手は?
オオクニヌシに関する記述には、こうした仕事ぶり以上に、政治リーダーに必要な要素が明確に描かれている。
一つは小動物に優しく、それによって自らも救われるという点だ。有名な因幡の白兎神話では、オオクニヌシは皮をはがれて苦しむ白兎を正しい医療知識で助ける。その結果、白兎はヤカミヒメへの求婚が成功すると予言してくれる。オオクニヌシが平原で、須佐之男命(すさのおのみこと)が放った火に囲まれた際、逃げ道を教えてくれたのはネズミだった。
「内はほらほら、外はすぶすぶ」
その言葉に従って逃げると、穴があって火をやり過ごすことができた。大国さまの使いがネズミというのは、この神話に基づくものだ。
危機に陥ると女性に助けられる、という筋書きもオオクニヌシには多い。ヤカミヒメへの求婚レースで敗れた兄神たちに焼き殺された際、秘薬を使って蘇生させてくれるのは高天原(たかまがはら)から派遣された2柱の女神。須佐之男命から数々の試練を与えられる際、神威のある布などを与えて助けるのは須佐之男命の娘、スセリビメである。
弱者に優しく、それに助けられ、女性からも救いの手を差し伸べられるだけの魅力があること。それで初めて、リーダーの資質がある、と古事記は書いているのである。現代の政治にも通じるものが大いにある、と言うべきだろう。
岩國市政の土日サービスは、市職員組合には不評だった。しかし、それを大きく上回る市民、特に女性の支持があった。政治家は何に顔を向けるべきか。その答えは古代から変わらない。
それはそれとして、100分で名著に「古事記」が取り上げられていましたが、おもしろかったですね。