あび卯月☆ぶろぐ

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私の邦楽史 第二回「日本パンク黎明期とINU」

2007-09-19 02:07:29 | 音楽・藝術
1979年2月、元・セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスが死去した。
そのひと月あまり前、日本にひとつのバンドが誕生していた。
そのバンドの名を“INU(イヌ)”という。
当時、十七歳の高校生だった町田町蔵をヴォーカルとして結成されたパンクバンドである。
INUは80年代J-PUNKのひとつの原点であった。
少なくとも私は80年代J-PUNKを象徴するバンドは?と問われればまづINUを挙げる。
INUをもってJ-PUNKの元祖だとみなす声もあるが、勿論それ以前にも日本にパンクバンドはいたし、同時代にも多くパンクバンドは存在する。

日本のパンクの淵源は70年代前半に求めることができる。
それは村八分、頭脳警察、外道といったバンドたちだ。
これらのバンドは当時パンクと名乗っていたわけではないが、十二分にパンク要素の強いバンドであった。
なにより、反体制であり過激だった。
思想の面でいうならば特に頭脳警察は左翼過激派と言ってもよく、高らかに共産主義革命、世界同時革命を叫んでいた。
それゆえ、ファーストアルバムが発売禁止になったり、曲目が放送禁止曲に指定されたりした。
ただ、音楽面では村八分や外道の方がより強烈な演奏だったと個人的には思う。
これらのパンクは純和製パンクと言ってよく、海外のパンクの影響は後のパンクほど受けていない。

ピストルズが生み出したパンクムーヴメントの影響を受けたバンドが現れるのは70年代も後半に入ってからだ。
所謂、東京ロッカーズと言われるバンドたちがそれである。
具体名を挙げるならばS-KEN、リザード(元・紅蜥蜴)、フリクション、ミラーズ、ミスターカイトあたりであろう。
私はこの中ではフリクションが好きだ。
特に『軋轢』というアルバムが白眉であるが、坂本龍一が携わったせいか音楽的にはやはり洗練されている。
これら東京ロッカーズに対抗するようなかたちで生れたのが関西ノーウェーブと言われるバンド群である。
その代表的なバンドが正にINUなのだ。
それ以外にはアーント・サリーや非常階段などが居る。
70年代後半から80年代初頭にかけて生れたこれらのパンクは反体制や過激さよりもアングラやサブカルの趣が強いものであった。
また、東京ロッカーズはパンクにしては洗練されていて、いわばオシャレな感じがした。
リザードあたりはむしろそれを確信的にやってたきらいがある。
それに真っ向から反対したのがINUのボーカル、町田町蔵だった。
かれはガセネタという曲で次のように叫んだ。
(少し長くなるが重要な曲なので全文掲載する)


俺はお前らを・・・ 俺はお前らを 俺はお前らを楽しますだけに
大阪からわざわざ東京まで出て来たんちゃうんじゃ!!
何が屋根裏じゃ ふざけやがって!
リザード?S-KEN? あんなもん何にもおもろないんじゃ アホ!
お前ら分かってんのかー!しょーもないんじゃ アホ!
リザードなんか聴くな! 東京ロッカーズなんかおもろない
まだ聴けんの XXXX(聴き取り不能)だけじゃ
Mr.カイトはまだ聴けるけど 東京ロッカーズなんかおもんないんじゃ!
俺はリザードと共演した モモヨ?あんなもんただの女好きのアホやないか!
「君、灰皿どこ?」
なめてんのか アホ!お前らな!なめとったら承知せーへんぞ!
俺お前ら楽します為にわざわざ大阪から来たんちゃんうじゃ
こらー!ボーとした顔しやがって!
ほっとけや!しょーもない思うたらどつけ!
アホんだら!アホんだら!えぇ!?えー!!
リザードなんかしょーもない ストラングラーズしょーもない
ヤメロ!ヤメロ!・・・ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロ!ヤメロー・・・
わはははははははは・・・・!!・・・
日本人の正常な音楽感覚!?日本人の正常な音楽感覚!?
パンク!?パンクやとー!?
しょーもないんじゃ あんなもん 何がおもろい?
まともなん ジョニー・ロットンだけやないか!
オー 消えろ!消えろ!消えろ!消えろ!
ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!ヘイヘイヘイヘイヘイヘイヘヘイヘイ!
ウルトラビデなんか 身内で楽しんでるだけやないか!
何が真剣に音楽やっとるじゃ!
「お父さん働いて下さい」?
アホか!ええかげんさらせ!ボケー!なめとったらな!
オイ ハードロック!ハードロック消えろ!ハードロック消えろ アホ!
金の為にハードロックバンド入る? アホかお前は ええかげんせーよ
牛若丸なめとったらどつきまわすぞ!エー!?
俺はお前らを 楽します為に来たん・・・
俺はお前らを楽します為に来たんじゃない!



これはほとんど歌と言うより叫びである。
とりわけ、東京ロッカーズへの罵詈雑言が目立つ。
あんな気取った奴等はパンクじゃない、というわけだ。
町蔵がいかに東京ロッカーズを嫌っていたかがよくわかると同時に関西と関東のパンクの違いを如実にあらわしている。
(東京ロッカーズは基本的にこのような罵詈雑言は吐かない)
町蔵はライヴでも客を怒鳴ったり、時には殴ったり、警備員と喧嘩をしたりしていた。
いまでは町田康と名前を変え、芥川賞作家などと呼ばれ文化人のようになっているが町蔵時代はかなりの荒くれ者だったのだ。
しかも、INU結成当時は十七歳だったのだから恐れ入る。
ところで、このガセネタは1984年に発売された『牛若丸なめとったらどついたるぞ!』(音源は1979年のもの)というライヴアルバムに納められているが、このレコードには歌詞カードは附いていないので耳で聴いたままを引用した。
既に廃盤になっていてCD化もされていないので、某音楽著作権団体もこの曲は管理下に置いていないと思われる。

INUは1981年に初のアルバムを発表する。
それこそが、日本パンクの古典『メシ喰うな!』である。
この作品は演奏や歌い方にUKパンク殊にピスルズの影響が見てとれる。
また、このアルバムではガセネタにみられるような過激な叫びは影をひそめ、町蔵独特の世界観が広がっている。
後に小説やエッセイの中でも遺憾なく発揮される町蔵のあのなんともいえぬ世界観はすでにこの頃からあったのだ。


写真屋のおっさんの石で刻み込まれたようなしわ
俺はあなたが愛おしい糞まみれにしてくれ
(略)
どいつもこいつもヤバイ状態するするすんすん

(「つるつるの壺」より)



ただ、ハードコアパンクを聴き慣れた現代人が『メシ喰うな!』を聴くと面食らうかもしれない。
人によってはこれがパンク?と問うかもしれない。
なるほど、確かに音圧は決してハードとは言えない。
音楽的にパンクなINUは『牛若丸~』を聴かなくてはならない。
私は『牛若丸~』を聴いた時に初めてINUの本当の凄さを知った。
INUは『メシ喰うな!』のみによって評価されるべきでない。
その為にも『牛若丸~』の一日も早い復刻を願うばかりである。
さて、INUが結成された翌年、1980年にはこれまた80年代J-PUNKを象徴するもう一つのバンドが生れている。
その話は次回以降。


<つづく>