ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会
http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw
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制服向上委員会というアイドルグループが、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」なる反原発ソングを歌っている。
はっきり云って気持ち悪いことこの上ない。
イメージが湧かない人はAKB48が
忘れないから 原発推進派
安全だったら あなたが住めば良い
みんなに迷惑かけちゃって 未熟な大人ではずかしいよネ
ダッダッダッダッ脱!原発を! ダッダッダッダッダツ 大きな声で
世界へ向けて叫ぼう危険な現実を
(「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」詞:鈴之助 より引用)
などと歌っている姿を想像してみるといい。
私が原発推進派だから「反原発ソング」を気持ち悪いと云っているのではない。
むしろ、私は脱原発派に近いといってもいい。
例えば、他にも制服向上委員会は「悪魔・野田・TPP」なる反民主党・反TPPソングを歌っている。
云うまでもなく私はTPPにも民主党政権にも大反対の立場だが、同様に気持ち悪さを抱くのだ。
なぜか。
アイドルグループに政治的プロパガンダをやらせることの気持ち悪さだ。
政治的主張を歌に乗せること自体はまだいい。
反原発ソングでいえば、ブルーハーツが歌った『チェルノブイリ』に寸毫の違和感も感じないし、
福島の原発事故後ではステルスマン(平沢進)が歌った『原子力』はむしろお気に入りの曲でポータブル音楽プレイヤーに入れてしょっちゅう聴いているほどだ。
無論、歌詞やメロディーのクオリティにも左右されるし、聴くに堪えない政治ソングも多い。
制服向上委員会のそれは、歌詞になんの諧謔もなく、政治運動のアジビラと同レベルかそれ以下。
そんな歌をアイドルグループというより田舎の小娘が集まったような集団に歌わせる。
ちょっと異様な光景だ。
だいたい、反原発ソングを歌いたいなら、自分でやればいい。
忌野清志郎も斎藤和義も自分の主張を自分の歌にして自分で歌っていた。
他人に(それもアイドルに)歌わせようとはしなかった。
しかも、制服向上委員会のメンバーは大人に云われた通り、命令通りに歌っているだけじゃないか。
「違う、彼女らは自分たちの意志として歌いたいのだ」という反論があるなら、それは洗脳されているだけではないか。
仮に制作者サイドが「アイドルに反原発ソングを歌わせることによって輿論を喚起される」というような戦略を立ててやっているなら、それは老婆心ながら即刻辞めることをお勧めする。
自分たちがどう感じているか知らないが、あの歌や映像を聴いたり見たりして、一般人が抱く感想は違和感であり、あるいは嫌悪感だ。
B級のアイドルグループが安い歌詞と単調な曲に乗せて反原発を歌う。
この光景を見て違和感を感じないとすれば、その人は相当感性が鈍っている。
制服向上委員会は頭脳警察のPANTAや中川五郎ら左翼音楽家に乗っ取られててからおかしくなったといわれている。
なるほど、アイドルグループに反原発ソングを歌わせるのはかつての左翼の感性だ。
こういう一般大衆の感性と乖離した彼らのそれが、左翼運動に対する一般大衆の支持を失わせこんにちの左翼の衰退があるとすれば、彼らはいまだにその弊を引きずっていることになる。
こういう「反原発」の連中がいるから、私は脱原発寄りにも拘わらず、態度を鮮明にしたくないし、反原発運動なるものに関わりたくもないのである。
http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw
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制服向上委員会というアイドルグループが、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」なる反原発ソングを歌っている。
はっきり云って気持ち悪いことこの上ない。
イメージが湧かない人はAKB48が
忘れないから 原発推進派
安全だったら あなたが住めば良い
みんなに迷惑かけちゃって 未熟な大人ではずかしいよネ
ダッダッダッダッ脱!原発を! ダッダッダッダッダツ 大きな声で
世界へ向けて叫ぼう危険な現実を
(「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」詞:鈴之助 より引用)
などと歌っている姿を想像してみるといい。
私が原発推進派だから「反原発ソング」を気持ち悪いと云っているのではない。
むしろ、私は脱原発派に近いといってもいい。
例えば、他にも制服向上委員会は「悪魔・野田・TPP」なる反民主党・反TPPソングを歌っている。
云うまでもなく私はTPPにも民主党政権にも大反対の立場だが、同様に気持ち悪さを抱くのだ。
なぜか。
アイドルグループに政治的プロパガンダをやらせることの気持ち悪さだ。
政治的主張を歌に乗せること自体はまだいい。
反原発ソングでいえば、ブルーハーツが歌った『チェルノブイリ』に寸毫の違和感も感じないし、
福島の原発事故後ではステルスマン(平沢進)が歌った『原子力』はむしろお気に入りの曲でポータブル音楽プレイヤーに入れてしょっちゅう聴いているほどだ。
無論、歌詞やメロディーのクオリティにも左右されるし、聴くに堪えない政治ソングも多い。
制服向上委員会のそれは、歌詞になんの諧謔もなく、政治運動のアジビラと同レベルかそれ以下。
そんな歌をアイドルグループというより田舎の小娘が集まったような集団に歌わせる。
ちょっと異様な光景だ。
だいたい、反原発ソングを歌いたいなら、自分でやればいい。
忌野清志郎も斎藤和義も自分の主張を自分の歌にして自分で歌っていた。
他人に(それもアイドルに)歌わせようとはしなかった。
しかも、制服向上委員会のメンバーは大人に云われた通り、命令通りに歌っているだけじゃないか。
「違う、彼女らは自分たちの意志として歌いたいのだ」という反論があるなら、それは洗脳されているだけではないか。
仮に制作者サイドが「アイドルに反原発ソングを歌わせることによって輿論を喚起される」というような戦略を立ててやっているなら、それは老婆心ながら即刻辞めることをお勧めする。
自分たちがどう感じているか知らないが、あの歌や映像を聴いたり見たりして、一般人が抱く感想は違和感であり、あるいは嫌悪感だ。
B級のアイドルグループが安い歌詞と単調な曲に乗せて反原発を歌う。
この光景を見て違和感を感じないとすれば、その人は相当感性が鈍っている。
制服向上委員会は頭脳警察のPANTAや中川五郎ら左翼音楽家に乗っ取られててからおかしくなったといわれている。
なるほど、アイドルグループに反原発ソングを歌わせるのはかつての左翼の感性だ。
こういう一般大衆の感性と乖離した彼らのそれが、左翼運動に対する一般大衆の支持を失わせこんにちの左翼の衰退があるとすれば、彼らはいまだにその弊を引きずっていることになる。
こういう「反原発」の連中がいるから、私は脱原発寄りにも拘わらず、態度を鮮明にしたくないし、反原発運動なるものに関わりたくもないのである。