あび卯月☆ぶろぐ

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虐殺者としてのオーストラリア人

2009-09-15 22:59:28 | 歴史・人物
オーストラリア人に祖先を訊くと決まって「ウチは1800年以降に入植した」と答えるという。
私の祖先は囚人ではありませんよという意味だ。
オーストラリアは元々イギリスの囚人たちの流刑地で、1801年以降は自由渡航が可能になった。

だが、移住してきた人たちは囚人よりもタチが悪かった。
彼らはオーストラリアの原住民アボリジニをあらゆる殺し方で殺戮した。
アボリジニの集落の飲み水に毒を入れたり、アメリカ人がインディアンにやったように撃ち殺したり、そして最もポピュラーな殺し方は崖から突き落とすというものだった。
アボリジニは同じく大陸に住んでいたコアラやカモノハシのように温厚で、インディアンと違い大きな抵抗をすることなく次々に殺されていった。

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約を取り決めたパリ講和会議で日本は人種差別禁止案を提案したが、これに反対したのはアメリカ、イギリス、そしてオーストラリアだった。
彼らがやっていたことを知ればそれに反対するのもよくわかる。

オーストラリア人はアボリジニの殺戮を20世紀に入ってもやめなかった。
日本では新しい昭和という時代に突入した1928年、オーストラリア人は週末ごとに「アボリジニ狩り」を楽しんでいた。
その日の狩りの成果として「アボリジニ17匹」の記載が残されている。(降籏学『残酷な楽園』)
20世紀に入っても彼らがアボリジニを人間とは思っていなかった証拠だ。

このため、タスマニア島にいたアボリジニーは全滅させられ、大陸に三百万人はいたとされるアボリジニはいまは三十万人が残るだけとなった。
この残されたアボリジニーたちはいまは農地を奪われ、就職口もない。
そこで表向き保護というかたちで僻地に作られた収容施設に押し込まれている。
ナチスがやっていたゲットーと同じような光景がここにある。

2000年、シドニーオリンピックの開会式でアボリジニの男女が会場いっぱいになって踊っていた。
「いまでは過去の暗い歴史は清算されて白人もアボリジニも仲良くやっていますよ」というパフォーマンスらしいが、踊っていたのは実はアボリジニではなくて体を黒く塗った白人で、本物のアボリジニは会場の外で「私たちを滅ぼさないで」と坐り込みの抗議をしていた。
それを知らずか朝日新聞は「民族融和、和解の証し」と称賛していた。
あまり笑えない冗談だ。

ところで、日本はオーストラリアと戦火を交えたことがあった。
第二次世界大戦のときだ。
日本は無視していたのに勝手にオーストラリアが宣戦布告してきたかたちになる。
この時も彼等の人種差別意識が剥き出しになった。
捕虜にされた日本軍兵士は射殺されたり、輸送の途中に輸送機から突き落とされたりと、アボリジニと同じように殺された。
なのに、いまでもオーストラリアは日本人は残虐だったと戦勝記念日には反日パレードが行われている。

そのオーストラリアが、いまは捕鯨問題で日本を叩くことに喜びを見出している。
今日も「緊急!世界サミット"たけしJAPAN "2009日本を考えるTV」という番組でオーストラリア人が捕鯨をやめろと日本人を非難していた。
自分たちは今ではカンガルーを殺しまくっているのによく言う。
その中で、あるオーストラリア人が「人間に近い鯨を調査と称して殺す日本人を私たちも調査目的に二三人殺してもいいですか?」というようなシーンがあった。
さすが、アボリジニを虐殺しまくっていた子孫のセリフといったところか。

そういえば、毎日新聞の英語版サイトで日本人を貶める記事を書いていたライアン・コネルもオーストラリア人だった。
その記事の中に「日本人がエクアドルで子供狩りをしている」というものがある。
人を狩るなんて、それは貴方たちの事だろう。
ついでにいえば、皇室を貶める『プリンセス・マサコ』を書いたのもオーストラリア人だ。

日本人はオーストラリアというとコアラやカンガルー、オージービーフ、エアーズロック、グレートバリアリーフ・・・と好印象を持っているが、オーストラリア観を改めるときかもしれない。