すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「神様は声と指は」

2019-08-02 23:22:22 | 老いを生きる
 古くからの友人の一人が、何年か前に大病をして、その後も手術を繰り返した。さらに去年の暮れにはバイクに乗っていて交通事故にまきこまれて、大怪我で集中治療室に入れられた。「ああ、私はこれで終わりかな」と思ったそうだ。
 幸いその後、順調に回復が進んでいるらしい。大病や大事故の前、彼女は歌をうたっていて、ギターも弾いていた。
 一月に、以下のようなメールをくれた。
 「…私は振返ってみると随分、音楽に救われた人生と思います。癌になっても事故に遭っても、神様は声と指は残してくれました。今は歌いたい曲、「ナブッコ」の「行け我が思いよ」を、気楽に歌っています…」
 ぼくは、「お互いにそれぞれのかたちで音楽が続けられたらいいね」「そのうちあいましょう」と、返事を書いた。
 その彼女が、2,3日前にメールをくれた。「9月にコンサートをする」という。「友情出演で歌わない?」というオファーもくれた。
 コンサートができるところまで回復したのだ。それが何よりもうれしい。楽しみに聞きに行きたい。でも、ぼくが歌うのはお断りしよう。このごろぼくは耳が遠くなって自分がマイクで声を出してしまうと、伴奏のピアノが聞こえにくくなってしまうのだ。去年お店を辞めたのも、お客様の注文が聞き取りにくい、というのが大きな理由だったのだ。
 今回は、久しぶりの彼女の歌を楽しみに行く。お茶か、お酒が飲める程度に回復していたら、お祝いに乾杯をしたい。ワクワクしている。
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