すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

体力

2019-08-10 10:40:14 | 老いを生きる
 北岳の大樺沢を登る途中、下ってくる、もしくはぼくを追い抜いていく何人もの人に、「どこまで行くのですか?」とか「お気をつけて」とか声をかけられた。右股を山頂に向かう途中だけでなく、初日に御池小屋に向かう途中ですでに。「御池小屋までです」と答えると、「ああ、それが無難でしょうねえ」と言ってくれる人までいた。
 (同じようなことを、「三つ峠山」19/05/25でも書いているが)ぼくはよほど疲れて大変そうな顔をしていたに違いない。ぼくはその時、一方ではあの沢沿いの気持ちの良い道を満喫して歩いていたのだが。しんどくはあるがそれはまあ当たり前のことでもある。
 ただし、「無難でしょうねえ」と言うということは、11:00に広河原にバスで到着して肩の小屋まで行くのは、体力さえあれば普通のことだ、ということでもある。
 事実、ぼくの妹は若い頃、夜行バスで広河原に入って翌日山頂に立ち、さらに二日かけて白根三山を縦走して奈良田に下りている。若い頃のぼくならもっと先まで行けただろう。
 今回は夏山だし危険なところはない山だから当てはまらないが、若い頃には何でもなかったことが、いまの老いたぼくには命がけの冒険になることもありうる。積雪期の山に行く場合、縦走何日目かで疲れた体で岩尾根を下る場合、など。
 なんたって、昔の半分も歩けない体力なのだから。
 それでも、やや冒険だなと思うようなところに行きたい気持ち、自分の力の少しだけ先に行きたい気持ちは持ち続けたい。
 「無理しなさんな」とか「年寄りの冷や水」とか、仲間にさえも言われることがあるが、心配してくれるのはまことにありがたいのだが、一方、そういう人たちは、たぶん、解ろうとしてくれていない。
 若い人にとっては、あるいは自分の若いときであったら大したことのないことが、いまのぼくにはかなり大変なことでありうるということが、そういう行動を選ぶ理由のひとつでもあるということ。
冒険を好む趣味ではなく、そういう時にはぼくの頭や体のいまある能力を駆使しなければならないからこそ、いまのぼくにとって価値がある、ということ。
 それは同時に、その時自分が目にしている雪の斜面や緑の谷が、よりいっそう美しいということでもある。
 (先日、コンゴ民主共和国から帰国した70代の女性が帰国後に発熱して、エボラ出血熱が疑われたが陰性と判明した、というニュースが流れた。
 コンゴ民主共和国! その女性は仕事で行ったのだろうか。
 もういちど行きたいなあ。もうぼくはお金がないし、フランス語ももう仕事でつかえるレベルに全然ないから、行きようがないが。)
コメント
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