東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

教員の平均睡眠時間は約6時間、読書時間は約14分

2016年02月08日 | 日記

2月2日に行われた連合総研(連合総合生活開発研究所)によるシンポジウム『「教員の働き方」と「時間管理のあり方」を問う!』報告の続きです。

前回4日に小・中学校の教員の労働時間は一日平均約13時間と報告しましたが、そうした長時間労働が、教員の生活時間にも大きな影響を与えています。連合総研の調査によると、勤務日の1日平均睡眠時間は、小学校が6時間4分、中学校が6時間3分となっており、労働者全般の7時間4分と比べると1時間も短いことが分かりました。しかし、驚くのは休日の1日平均睡眠時間です。労働者全般が9時間16分なのに対して、小学校7時間25分、中学校6時間52分と2時間もの差に広がります。おそらくこれは土曜日授業や部活動など、休日も学校に出勤する傾向が強くなっていることを示しているのだと思われます。

 こうした労働・生活の実態の中で、勤務日1日平均の読書時間は(厳密な比較はできないものの)労働者全般が35分であるのに対して、小学校14分、中学校13分。休日では、労働者全般が1時間9分に対して、小学校42分中学校32分と差が広がります。教員は、ワーク・ライフ・バランスが大きく崩れ、勤務日はおろか休日でも仕事の占める比重が大きいことが分かります。

負担を感じる業務については、「保護者・地域からの要望等への対応」が小・中ともに80%を超えて一位となっており、二位も小・中ともに「国や教育委員会からの調査対応」となりました。三位は、小学校が「成績一覧表・通知表の作成」となり、中学校では「児童・生徒の問題行動への対応」でした。「他の職員・スタッフに移行すべき業務」では、小・中いずれも一位が「学校徴収金未納者への対応」で、二位が「国や教育委員会からの調査対応」でした。

 連合総研は「教員の健康悪化や資質向上の機会不足を招き、教育の質の低下につながる恐れがある」として、長時間労働の改善を求めています。今回は「速報」の報告でしたが、今後さらに分析、検討が行われ、答申と提言が出されることになります


「障ハラ」もたくさんある!

2016年02月08日 | 日記

 子どもに「障害」があると、どこか気がひけて、学校に対しても遠慮しがちになる。学校から何かを言われるとその通りにしなければ申し訳ないような気持ちにさせられる人も多いと思う。だから、「付き添いをお願いします」などと言われると、そうしないと学校に入れさせてもらえないような気持ちになったり、子どもが学校でひどい目にあうのではないかと心配になったりして、「はい、わかりました。」と答えてしまう親も多いと思う。
 しかし、どこの法律をみても入学や学校生活の条件に「親の付き添い」などということは書いてない。子どもの権利条約を見ても障害者権利条約を見ても、全く反対で、子どもに必要なことは行政の責任において(合理的配慮)しなければいけないことになっている。(そんなことはありえないはずなのだが)仮に何かの事情で親に付き添いを頼む場合でも、「本来学校でやるぺきところ充分にできずに申し訳ありません。」と親にあやまって「お願い」するぺきところなのだ。
 それを何を勘違いしているのか、障害児は親に面倒を見させるべき、とか、普通学級に入りたいなら親もリスクを負え、とぱかりに上からものを言う学校、教委がいまだに後をたたない。
 すべての親に付き添いを要求するならまだしも。「障害」児の親にのみ付き添いを要求するのは、「障害」を理由としているのだから障害による差別になる。
 にもかかわらず、付き添っている親に対してさらに学校は追い打ちをかける。
 あるとき、親が体調が悪くて「今日は付き添えません」と学校に連絡したら、管理職が「それなら子どもを休ませてください」と言つたという話がある。事情があって学校に来られない子どもがいたら先生が迎えに行ってでも子どもが学校に来られるようにするのが先生の役目だと私は思っていた。まさに子どもの教育権を奪うこの管理職の発言は、憲法違反そのもの、親に対してのハラスメントだ。こう言われた母親はショックでしばらく立ち上がれなかったという。
 この学校では、「子どもがゆっくりなので、親が見ていなかったら危険じゃないですか」「付き添いは学校の
 今は、女性の容姿についてのひとことでもハラスメントとして注意が喚起され、教委もそういう通知を各学校に出しているのに、これだけ親を傷つける障害者ハラスメントについては何も触れていないのはどこか間違っている。障害者には何を言ってもいいということではないはずだ。
 ここにあげたのはほんの一例で、全国連絡会にくる相談ではもっとひどい発言が次々と報告されている。ハラスメントはいまや30種類もあるとどこかに書いてあったが、「障害者ハラスメント」という言葉はなかった。「障ハラ」がハラスメントにならないことが、差別の現実なのかと思う。「障害」者には何を言ってもいいという考えがまだ多くの人の間にあるということだ。
(むらさきししぶ)