東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「あなたが生まれてきて良かった」と言える世の中に

2016年02月22日 | 日記

 昨年1 1月1 8日に開かれた茨城県総合教育会議で、県教育委員の長谷川智恵子氏は、特別支援学校2校の視察に触れながら、「妊娠初期に障害の有無が分かるようにできないのか。特別支援学校には多<の方が従事し、県としては大変な予算と思う」「生まれてきてからでは大変」「減らしていける方向になったらいい」と発言した。またその場にいた橋本茨城県知事も「産むかどうかの判断の機会を得られるのは悪いことではない」と発言を「問題ない」とした。
 この発言には、全国から抗議が殺到、長谷川氏は結局委員を辞任、橋本知事も「問題ない」という発言を撤回した。
 この長谷川氏の発想は、特別支援学校の予算がかかりすぎることから、障害児が減れば予算も少なくてすむという。子どもの命とお金のどちらが大切かというきわめて基本的なことが抜けている。しかもそれが「障害」児なら生まれて来なくてよいという「障害」児・者の存在を否定するものになっている。
 ここで気になるのは、発言した長谷川氏のこともそうであるが、その発言を擁護した知事のことだ。橋本知事は、長谷川氏の発言についてその場では何も感じていなかった。知事ともあろう人が、長谷川氏の差別的発言に何も疑問を感じなかった。もっと言えば。その場にいたどれほどの人が長谷川氏の発言をおかしいと思ったのか。あるいは、そういった話を仮りに聞いた人のどれだけが、その発言を「間違っている」と感じたのか。
 今回の教育委員の発言がこれだけ大きく取り上げられたことはよかったとは思うが、この問題はとりあげられて、学校でおきる差別事件のほとんどが問題にされないことには、ものすごいいらだちを感じている。確かに「発言」は問題であるが、「実際」に、就学を拒否されたり、宿泊行事に参加させられない子どもたち、付き添いを強要される親たちのことはどうなのだろうか。
 現実に出生前診断なるものが技術を高め。生まれるはずの命が絶たれてしまうケ-スは増えている。その子が生まれ、育って、大変な思いもするけれど、「この子が生まれてきて良かった」と、私の出会った多くの親たちは感じている。ただその子が生まれる前に、この子が生まれたらどうなるかと不安を感じる多くの親がいるのも事実だ。
 障害があってもなくても、当たり前に生き合える世の中でありたい。この子が生まれたら苦労するのではと、心配させるようであってはいけない。「あなたが生まれてきて良かった」と誰もが自然に言える世の中にしなくてはいけない。
 先の二人、委員をやめたり、発言を撤回したりすれぱすむという問題ではない。もっとやることはあるだろう。みんなが地域の学校に通うようになったら、教育予算はずっと少なくてすむ。普通学校での人手も確保できる。ちょっとした工夫と努力で分けない教育は実現できる。どの子にも保証される学校教育を実現することこそが必要なことだと思う。
(アンズを啄むヒヨドリ)