東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「先生達へ」

2016年02月01日 | 日記

 日本インクルーシブ教育研究所の中谷美佐子さんがホームページで、先生達へ(不登校についてのお願い)と題して、「不登校になった子どもの家族だけが努力するのではなく、学校も、環境だけでなく、教師の考え方や見方も修正していかないといけないでしょう。」と訴えている。
 皆さんの学校にも不登校の子どもは必ずいるだろう。その子どもたち、保護者の思いに立った教育のあり方を問う意見だ。まさしく子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益が第一次的に考慮される。」を体現したお願いだと思うので、少し長くなるが引用させていただく。

先生達へ(不登校についてのお願い) http://ameblo.jp/inclusionclass/entry-12117622349.html
 発達障害への正しい認識やインクルーシブ教育の普及活動をしている日本インクルーシブ教育研究所(http://www.hikk.biz/)の中谷美佐子です。

 さて、今日は学校へお願いがあります。
 子ども達が不登校になると、学校の先生達は毎日のように不登校の子どもの家庭にいろいろアプローチをされます。
 ある不登校の子どものお母さんがこんなことをおっしゃっていました。
 「校長先生が度々お電話くださり、先生方には本当に申し訳ないのですが、息子の発達や心の成長を考えると学校へは行かない方が幸せに生きていけるように思うのです」
 皆さんは、この言葉の意味が分かりますか?
 実は、学校という場所は子ども達に、物事の捉え方や受け止め方、考え方、行動の仕方、やり方等ありとあらゆるところで、普通になることを強要しているという意味です。
 また、その子その子によって発達の仕方や速度は違うにもかかわらず「今、○○できるようになっておかなければ、将来、困る」といったことを子ども達に強く指導しているため、どうしても子どもに無理が生じてしまいます。
 特に小学6年生になると中学校入学に向けて、学校全体で子ども達をしっかりさせようと思う傾向が強くなり、
それに耐えうることができない子ども達は崩れてしまいます。実は、中学になってから崩れる子ども達も多いのです。
 実際、私が社会に出て思うことですが「学校ほど、しんどいところはなかった」というのが正直なところです。
 私とお付き合いのある小学校の先生方が「学校の常識は、社会の非常識!我々がもっと社会を知って一般常識を学ばなければ、子ども達が悪いお手本を学んでしまう!」とおっしゃいます。
 確かに、私も、先生方の不適切な言動をかなり見たことがあります。
 お礼を言わなければならない相手に、形だけでも感謝の意を表すことさえもしない、お客様の前で平気で子ども達を怒鳴りあげる、子どもの見ていない場所で気に入らない子どもに向かって「ばーか!」と言っている等、一般企業に務めていれば恐らく訓戒処分と思われる行為を多々、子ども達に見せていました。
 また、発達障害があり短期記憶が弱いため、前の子どもが質問した内容と同じ質問をしてしまった子どもに対して「はあ~」とため息をつき、「さっき言いました!」と多くの保護者の前で言ってしまった教師もおりました。
 保護者の前で、これをやってしまうのですから全く悪気はないようです。
 でも、それを見ていた子ども達は恐らく「あの子が何度も同じ質問をしたらため息ついてもいいんだ」と思うでしょう。
 こういった教師の態度は子ども達への「いじめ」のモデルとなってしまいます。
 私は、あの質問をした子どもの傷ついた悲しみの様子は今でも忘れられません。
 この子どもはこういった傷つく経験を積み重ね、思春期あたりから二次障害(荒れる等)となっていく様子を
私は目の当たりにしてきました。
 しかし、先生方の対応は力で彼を抑え込む形だったのです。この子が周りから褒められる経験を積み重ねることができていたら、、、と思うと胸が痛みます。
 そして、先生方と話していると、健常者のやり方や考え方が良くて(正しくて)、障害者のやり方や考え方はおかしい(間違っている・恥ずかしい)といった(見えない)考えや思いが、先生方の態度や言葉の端々に出てくることに私は気づきます。
 先生方の健常者が上で、障害者が下といった心の奥底の見方が子ども達にしっかり伝わっていて子ども達はいつしか「普通になりたい」と思うようになっています。
 健常者のやり方や考え方を教え込まれたり、従わせられたりしながら学校生活を送っていると、発達障害の子ども達はいつしかありのままの自分を認めることができなくなっていきます。
 そういった環境の中で育ち、自己肯定感を下げていき、社会に出ていけなくなってしまった子ども達を私はたくさん見てきました。
 障害者に、健常者のやり方を強要すると、より困難さが顕著になります。
 健常者と同じようにできない自分はダメな人間と思うようにもなります。
 そして、常に「できない、どうしよう、分からない」といった焦りと不安の中で、子ども達は学校生活を送ることになります。
 そうしているうちに、だんだん周りが見えてくるようになる思春期あたりから、発達障害の子ども達は人と関わるのが嫌になり、不登校・ひきこもりとなっていくのは自然な流れだろうと私は思っています。
 しかし、日本の学校対応は「クラスのお友達が毎日迎えに行って○○君は学校へ来ることが出来るようになりました」とか「お母さんが○○さんが学校へ行けるように上手に背中を押して下さったので学校に来れるようになりました」とか「担任が毎日○○君の家に行ってお話をして力を尽くしたけれど、○○君は結局、学校には来ることができませんでした」等と呑気なことを言っているのです。
 日本の教育は、学校を変えていかなければならないのに、先生達の子どもへの見方を変えていかなければならないのに、子どもだけに変容を求めています。
 形だけ子どもに学校へ行かせても、何の解決にもならないことを私達は気づいていかなければなりません。
 不登校の原因は「教師にある」というデータが出ているくらいですから、学校環境を変えていかないといけないでしょう。
 子どもの生まれ持った特性を変えることはできませんし、普通になることを強要されるのは学校時代だけであり、社会に出てからは人と違うことができる人が重宝されたりするわけですから、個性的な子ども達をつぶすような教育をしてはいけないのです。
 不登校になった子どもに学校環境を改善することなく先生達の考え方を修正することなく、「学校へ来てほしい。先生は待っています」といった対応だけで、子どもが学校へ行けるはずがないということをご理解頂きたいと思います。
 また、人は発達することで過敏がなくなっていき鈍感になっていくのですが、発達障害者は発達が遅れているために、多くの過敏が残ってしまいます。
 そのため、健常者が何でもないことが非常に苦しく、それを我慢させられていることも多いため、どうやっても不登校にならざるおえないこともあります。
 それは学校に休憩できる場所(落ち着ける場所)が用意されていない上、本人がそれを求めることを恥ずかしいことと思っていたり、やっと求めることができても「それはダメです」等と言われて、苦しみを伝えることができなくなってしまう子ども達も多いからです。
 つまり、発達障害の子ども達がどれ程、苦しみを味わいながら学校生活を送っているかを本当に理解している先生がいないのかもしれません。
 子どもが苦しみを訴えたとき(訴えたくても適切な形で発信できない場合も含めて)それに応えてくれる先生がそばにいれば、子どもは学校にいられます。
 将来、自立していくために、誰も助けてくれないのだから、こういった苦しい状況に慣れていかなければならないと思っている先生方もいるようですが、、、
 障害特性は適切なサポートがあって初めて慣れていくというよりも、何とかやっていけることができたり、工夫していくことができるのです。
 また、どんなサポートがあろうともできないことはできないということもあります。
 それは、LD(算数障害や読み書き困難等)のある子ども達です。
 50歳すぎても単純計算だけは、どんなに努力してもできないという人や60歳すぎても読み書きに困難さがあり、ICT機器を使えば大丈夫な人もいます。
 脳機能というのは、よく働いている部分はよくできるけれど、よく働いていない部分はどんな努力をしても
どうやってもできるようにはならないこともあるのです。たまたま運が良くて(家庭環境にも恵まれていたため)外国で教育を受けることができたり、自分が望む仕事につくことができた発達障害の人たちもいますが、たいていの発達障害のある人達は社会でうまくいかず、ひきこもっていたり、様々な問題を抱えて苦しんでいるのです。
 適切な支援が受けられず、二次障害となって事件を起こした子ども達もいます。大人もいます。
 私達はこういった人達をこれ以上増やすことがないように、発達障害の子ども達を幼少時から適切にサポートできる人(支援者)を増やしていきたいと思い活動しています。
 それには、どうしても学校の先生達のお力が必要なのです。
 まずは、不登校になった子どもの家族だけが努力するのではなく、学校も、環境だけでなく、教師の考え方や見方も修正していかないといけないでしょう。
 微力ながらも、私が学校のお力になることができればと思い、今日も書いています。