東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

山岡ミチコさんとヒロシマ子ども派遣団

2013年02月04日 | インポート

Photo ぼくは広島に行き、一番心に残ったのは「山岡ミチ子」さんという15才という若さで原ばくにあった人の話です。・・・放射線などで顔がふくらみ、目が強い光で見えなくなり、男か女か、老人か若者かさえわからない顔になったそうです。原ばくが落ちた時は、ものすごいばく風で山岡ミチ子さんはガレキにうもってしまいました。助けを求めてもだれも助けてくれずもうだめだと思った時、母親が助けてくれたそうです。もし母親がいなかったら私は死んでいた。生きてはいなかった。母親がいたから私が生きていると言っていました。だから「母親や家族を大事にしてください。」と山岡ミチ子さんは言っていました。この言葉はとても心がこもっていて感動して、心が動かされました。

(第25次東京・ヒロシマ子ども派遣団報告集、小学校5年生の感想文より)

 東京教組のヒロシマ子ども派遣団で大変お世話になったヒロシマの語り部、山岡ミチコさんが2日、肺炎のためお亡くなりになりました。爆心から約800メートルで被爆し、顔や手に大やけどを負い、ケロイドが残った。1955年に渡米して治療、いわゆる「原爆乙女」といわれた方々の一人でした。1979年から語り部として活動を始め、東京の子どもたちにも何度も自らの被爆体験と核兵器廃絶の思いを伝えてくださいました。

心から、山岡ミチコさんのご冥福をお祈りいたします。

(山岡さんの話を聞く、ヒロシマ子ども派遣団の子どもたち)