東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「障害」は、労働環境によってつくられる

2013年02月01日 | インポート
Dsc00233 労働環境の変化が「障害」を作り出す。その典型が「発達障害」と分析するのは、一木玲子さん(筑波技術大学准教授)。彼女は、日本の「障害」に対する位置づけは、現在は第三段階に入っているという。
 第一段階は、明治の近代化。それまで自分のペースで一人の職人が物を作る、例えば服を作るとすると、服を作る前から完成まで、自分の目の見える所で行われていたことが、近代に入り工業化され工場ができラインができると、自分は今一体何を作っているのかは分からない状況が生まれてくる。チャップリンの映画『モダンタイムス』だ。このラインの作業に適応できない人が「障害」者と位置付けられた。つまり身体「障害」者や知的「障害」者が労働力として見なされず「障害」者と位置付けられたのが第一段階。この時代に知能検査も導入され効率が重視された。
 第二段階が、日本の敗戦から高度経済成長期、バブルがはじけるまで。この時代に就労可能な者、そこで医学的な「障害」の定義が採用され軽度の者は働く、重度な者は施設収容という形で、「障害」の定義が軽度・中度・重度に分類されていった。就労可能な者から学校に入るという形だ。
 そして今が、第三段階。バブル経済の崩壊の後、第三次産業のサービス業が約90%と大多数を占める時代になった。サービス業は人と人のコミュニケーション、人と関われるかどうかという点が分岐になり、人と関われないのが「障害」として認識された。それが発達「障害」の定義が出てきた契機だと言われている。「空気を読む」という事が当たり前のように言われ、「空気を読めない」人は働けない、働く能力が低いとなりかねない状況の中で、コミュニケーション、その場に適した行動ができない、そんな事が個人の能力として評価される、そこで発達「障害」がすっと入ってきた。知的「障害」がなくても「障害」と認定されるようになった。そもそも社会自体(労働環境)の変化が「障害」を作ったという訳だ。
 競争原理を入れることで質をドンドン高めていく中で、一番恐い事は、質が高められなかったら、それは自己責任。市場主義は自己責任とセットになる。そこで「障害」者はどうなのかと言うと、自己責任なので、発達「障害」とか就労可能とされる人はドンドン就労に向かって駆り立てられる、つまり「自立」に向かわされる。さらに、自立に向かわされる発達「障害」や軽度の「障害」者と共に、重度な「障害」者はどうなのかと言うと、自己責任ですから、あきらめを強制される。それに対して、保護者や教員も本人も、そんな流れを否定できず、まさに三浦朱門が「できない者はできないままで結構、戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げる事にばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばす事に振り向ける。100人に1人でもいい。やがて彼らが国を引っ張っていく。限りなくできない非才・愚才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいい」という発言が現実になりつつある。
 こう分析する一木さんの講演会「誰もが通える教室に!(Let’s start inclusive education!)が2月16日(土)14:00から東京教組で開催される。誰でも参加できます。
     (鵜の飛翔)