高砂橋付近の歴史
架橋以前
江戸時代から明治時代にかけて現在の高砂橋付近には「曲金の渡し」と呼ばれる中川の渡船がありました。
江戸市中の人々が柴又の帝釈天への参詣路として利用していた。
この「曲金の渡し」は享保14年(1729年)に開設、宝暦8年(1758年)に場所替えをするなどしながらながく利用されていた]。
高砂と言う地名
高砂の旧名は「曲金(まがりかね)」といいます。
明治になってから、曲金の地名は読みにくい、金が曲がるなどあまり語調が良くないとの声が出た。
1876(明治9)年の地租改正の時に、旧奥戸村に付けられた小字名(墨田・朝妻・出雲・須磨・明石・高砂・吾妻)の中から最も縁起のよい高砂が選ばれた。
1932(昭和7)年10月1日の市郡併合の際、葛飾区の誕生とともに町名に付けられました
高砂橋~奥戸橋中間にある船泊り
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