此の東屋に立ち寄り
思考・発想・反省・検討・気分転換
川風に吹かれて物思いに耽っていたら、
風・緑・水・環境がバッチリ、「縄文の庵」と命名しよう。
鳥の声、新緑、吹き抜ける風が心地よい。
木机に向かってメモを走らせた。ペンの走りがとても良い。
「縄文の庵」として時々使わせてもらおう。
階段をお上がると木机を囲むように周囲に休憩椅子。
水を飲みながら、ペンを走らせた。
アゲハ蝶が東屋を通り抜けて緑の中へ飛び去った。
屋根があり、直射日光をも遮ってくれる。
立派な東屋!!
緑の中を吹き抜けてくる風は実に爽やか、発想も新鮮味となって
湧いてきた。これからの夏日の気温が上がった時は格好の避暑地であろう。
この”庵”で思いついたことをメモして、
帰り来てまとめたものです。
人生100年時代
「孤独は、現代生活の悲しい現実です」テリ-ザ・メイ英首相の言葉。
定年を迎えて、毎日仕事に行くことが無くなる。子供はすでに巣立ってしまい、長年連れ添った妻ともあまりしゃべることはなく、それぞれの趣味を生かして人生を謳歌する。
定年後に訪れる≪孤独・個≫である。これが最も現実化し、必ずや一人になる時が来ます。先に夫が逝くか妻が逝くかの違いだけです。
わたしも80歳まで仕事を続け、一昨年辞めてから1年半が経ちました。
孤独をあるがままに捉え、あまり気にしたことが今までになく無関心で居ましたが、この1年6ケ月の間に「孤独」と言う大きな岩盤に突き当たりました。
「自由にしたい事が出来、だれにも邪魔にされない」と、肯定的に楽観的に捉えていましたが自由気ままが予想以上に苦痛でした。これに対して孤の克服をそれ相当に積み重ねてきました。
日本人は孤独嫌いが多く、孤独に対するイメージが社会一般としても否定して理解が希薄です。わたしもその一員です。孤独とは無関係と、「孤・個」から距離を置いていた。人と群れ、人の真似をする、共同社会に囲まれ生活群にぶらさがっていました。それが気楽でした。
日本の社会そのものもが「和を貴ぶ」と言うように、昔からの教えがあり、これを素直に尊んできた一員で、その輪の中に平然と居ました。孤・家族・会社員・地域社会・村・町と言うように群れ組織で、社会がその様に仕組まれ守られて生活してきました。
このような群れ社会から解き放たれると、糸の切れた凧のように舞い、一人生きて行くすべを知らず、個の遊泳術を心得ていなかったことです。世間では、「定年ですか、悠々自適イイですね!」と人は言います。これこそが定年人生の落とし穴だと最近気付きました。
いくら夫婦と言えどもどちらが先に逝くことは確かです。「人生100年時代への船出」と思い、孤の遊泳術を自分なりに身に付けなければならない。
昔読んだ「おお定年」加藤仁著。
取り出して拾い読みしながら考えてみました。
この著書には定年後の第2の人生様々が、①人生相談人間裏表している人、②商社マンから華麗なる文学博士に転身、③百名山を目指す元記者の方、④中学校校長から庭師に転身一般家庭の庭の手入れ、⑤日銀マンのマラソン人生への転換と150名それぞれが違っていました。様々でした。
150名の方を取材した著者は、それぞれの方々が前向きに「自分」を大切に生きている姿を見て「凄いなぁ~」と語っていた。そしてとてつもない人生へ方向転換した人達、世間はこれを人生の敗者、勝者とかいう人が居られる。とんでもない話です。如何に自己の範囲内で充実し人生を謳歌しているかだ・・・と賞賛を贈っていた。わたしも人生賛歌の素晴らしき転身と感心した。
そしてこれこそが孤独からの脱出され働くことの素晴らしさであろう。著者はこれが、第2、第3の仕事面から考察した人生行路であろうとも結んでいた。
100歳人生時代、定年後を如何に生きるかが問われているのが昨今の問題です。
私はこの東屋を「縄文の庵」として名付けた。時々に活用したい。近くに葛飾図書館と言う公共機関もあり、大変便利して利用しています。「 縄文の庵」孤に滅入った時や新たな発想、思考発奮の時に適時適所のようです。環境が、周辺が、雰囲気が発想の転換に役立つであろうと思った。
所変われば品替わるではありませんが、考え方が違ってくる。
長々と書き記してきましたが
要は人生、「健康・好奇心・感謝」と思っています。
コメ欄は閉めています。
お越しくださって有難うございます。