サンキュウ会(同窓会)
「思い出ありがとう」完成させて
同窓会案内状 出来上がった冊子
1、冊子の作成の契機
(画像↓は戦後史年表から転載しました)
一枚の案内状が8月の上旬に舞い込んだ。
≪9月5日(日)・かんぽの宿(埼玉・寄居)にて同窓会開催≫
そんとき昭和の年表を繰っていた。
小学校時代に終戦を迎え、戦後の混乱期を生き抜き,何とか着の身着のままカテ飯(芋飯、スイトン・・・・・)
日の丸弁当に腹を膨らませ、粉ミルクの給食、あるときは裸足で校庭を駆け回った。
鼻たれ小僧が二本鼻を垂らし、いがぐり坊主の童子。
「りんごの歌」が一世を風靡する。
戦争放棄、民主主義。
6,3制教育の実施。数え上げたら切がない。
そんなこんなの中から、雑納(進駐軍の払い下げ)下げてで学校に通い、同じ屋根の下で薪ストウブを囲み、
ボール食器でミルクをすすり、
アカイアカイ・アサヒアサヒ、ハトコイコイ、コマイヌサン、ウン、’墨塗り教科書’
で勉強してきた仲間(同士)ではなかったか・・・・・・・!!。
家族に次ぐ強い絆!!
数日後に、サンキュウカイ会場で一堂に会して、杯を酌み交わす。
墨塗り教科書&ストーブの横に沢庵の弁当を置き温めた。現代社会は冷暖房機(電気)に電子レンジ
想えば同級生といえば、小学校6年間、中学校3年間と愉しみ苦しみ悩み喧嘩をして来た切っても切れない友達。
案内状を貰って以来、小中学校時代を総括してみよう、振り返ってみよう。
《サンキュウ会・ありがとう・感謝》・・・・・・・・・・を
何か形にまとめられないかと考えた。いまこの機会を逃してはチャンスがない。
益々老いていく。そんな気持ちが心を強く押した。
『冊子』を作ろう!!日増しに気持ちが作ることに高揚した。
≪次回は、「2、同窓会場にて」を記します≫
『サンキュウ会』とは
1、A組、B組、C組の3学級の会
サンキュウ会〔3級〕
2、昭和27年度卒業生なので3×9=27
サンキュウ会〔3×9〕
3、お互いに感謝の気持ちを忘れないで・・・
サンキュウ会〔感謝=サンキュウ〕
サンキュウ=有難う=感謝
同窓会会計で
会費7000枝とします。すると1万円出しておつりは入らないと皆さん言うようです。
宗だその文何か思い出に残るものを、また感じの皆さんにはあれやこれやとお世話に成っている。かって文集らしきものが残されていなかった。
そんなことから一生懸命作りました。
皆さんから感謝の電話が入っています。
どんこさんのところに送られてきた文集≪手書き≫これは宝物ですね。きっと手書きのこだわりの人でしょう。
わが学校は、
小学校2クラス、中学校3クラスに分かれました。人員は130人くらいいたでしょう。
≫これまで生きてきて同級会に出られるのがいちばんエライ
正にそのとおりです。
①健康である、②経済的に何とか正常運転 ③家庭的に恵まれている
この3拍子整わないとなかなか、出席できません。
建設会社の社長がいますが、やはり人間気を見るに敏、そして勇気と決断が人間の成功を導くのでしょう。
あんがい頭のよい人はどうも出席率が悪いようです。
教養が邪魔をするのでしょうか・・・・・・・・?ハハハハハハハ
他人の冊子では興味もわかないかとおもいますが、冊子作成(3)でその内容のアウトラインを記しました。
年輪を重ねた方々のそれぞれの想いは
珠玉に値するものでしょう。
世界にたった一つしかない文集の誕生に拍手です。
この夏手書きの同窓会文集を送ってもらいました。
編集者が手書きこだわってユニークな文集に仕上げていました。
わたしののころは2クラス100人くらいでした。
11月5日に東京近辺のもので新宿に集まりました。大工の棟梁を現役でしている人がいます。数学なんかできなくても曲尺1本でサインコサインができます。
これまで生きてきて同級会に出られるのがいちばんエライ。
本の内容の話をまた披露してください。
縞枯山、相当むかしに行きました。縞枯れ現象、八ヶ岳近辺だけの現象です。
山行のブログのコメント、最終稿はコメント欄を開けてください。そのほうが感激したコメントが送れます。
☆ おいお前 すぐに溶け合い 酒を酌む
☆ チャン君と 自分に出会う 同窓会
ぼちぼちと、冊子の中身を解きほぐしていくつもりです。
作るのに当たって、
基本的理念がなくあれも、これもと継ぎ接ぎだられけの内容になりました。これが手作りのよさだとおもい、自己満足しています。
試行錯誤失敗の連続でした。
☆ 同窓会 昔イケメン 今フケメン
☆ チャン君と すぐに溶け合う クラス会
☆ 寄せ書きや 最後の一人に 成ってやる
☆ ビール注ぐ 注いだあなたは 誰だっけ
☆ 恋心 今はビヤ樽 よきおっさん
いろいろな内容を盛り込もうとしましたら却ってまとまりがつかなくなりました。
最初、基本的なものを決めておけばよいのでしたが、一人作業で独断で変更できるものですから右に左にと舵を大きく切りました。
ヘッダー、フッダーが欲の見込めなくて苦労しました。原稿が締め切り後20日間も過ぎてから到着
失敗の連続ですから十分に手作りの良さがあちこちににじみ出ました
紅さんの同窓生もよく会を催す、・・とblogで拝見いたします。箱根がよく行くようですね。
そうですか、毎年行う、それはそれは立派な心がゲデス。
サンキュウ会は、3年に1回に決まっております。
幹事さんも5人ほどおられますが、
会場を決めるのに大変なようです。また幹事の方々が亡くなられた人たちの墓参もなされているのでご苦労なことです。
その点東京暮らしは案内状が届くと出席と何の変哲もなくお世話に成るだけです。
そんなことからも冊子作成で心が動いたことは間違いないようです。いろいろの要素が加味されて。
2ヶ月余休みました。
まぁ・・・、骨やすみも入れまして休ませてもらいました。
『人間いたずら多事 人生いたずら年を取る
いまやらなべいつできる わしがやらねばたれがやる』
大きなことを言うようですがパソコンを使うとあんがい楽しく作れました。
失敗、試行錯誤、誤字脱字、変換ミス、写真のボケなどはいたるところ。
一生懸命に免じて許してもらいました。
ちえちゃんも
絵本をupされておられる、次なることはこれを印刷するだけでありましょう。
立派な、そしてオリジナリティーの絵本が何冊も何冊も出来上がることでしょう。
集合写真などはパソ・プリンターのためインキがたちまちなくなり、
店に駆け込んだことは2~3度でした。
間違い、ミスは同じ屋根の下で学びあったとも。大目に見てくださいと・・・・・・・・。
中学工の卒業文集もなかったし、中学校のアルバムもなし、
あるのは数枚の写真と、同窓会の集合写真だけでした。
そんな写真や、昭和年表を見ていたら同窓会の案内状と重ね合わせて、奮い立ったのです。
『人間いたずら多事 人生いたずら年を取る
いまやらなべいつできる わしがやらねばたれがやる』
『六十 七十は 鼻たれ小僧 男ざかりは百から百から
わしもこれからこれから』
わたしの好きな言葉です。
手作りという雰囲気がお写真より伝わってきてぬくもりを感じました。よく、自分史を作られる方もおられますが、同じ時代を共に歩み、遊び、学んだ仲間の中の一人としてご自分をとらえておられほんとうに素晴らしいことだと思いました。様々な価値観が変わった激動の時代を経験された方たちの絆は私の世代以上なんでしょうと、推察いたしました。
3つの理由でサンキュウ会とはすばらしいネーミングですね。今後のサンキュウ会のご発展をまた聞かせてくださいね。
高校時代の同窓会を行いました。
総勢93名 参加者30名弱、すでに故人が7名もいました。
楽しい思い出の中になぜかさみしさも漂っています。
幹事の言われるままカメラを持って参加、カメラマンの役目をする羽目になりました。
今、いかにして印刷枚数をヘスか考え中です。
わたしとは4歳ちがいでしょうか。ありがたいことにわたしは黒塗り教科書を経験しませんでした。
ストーブは同じで懐かしいです。
ここに書かれていることがみ~んな私にも当てはまります。
戦後の大変な時代を共に過ごしたからこそ、強い絆、家族に次ぐ強い絆、分りますとも~!
思い出が一杯詰まった冊子を作られたとの事、意義深いことですね。永久保存版~!
私たちは還暦を機に集うようになりました。以後毎年です。
当時を懐かしんで「田んぼの会」です。
先生の強いご要望でこの6月に集い、恩師ご夫妻が出席下さいました。
失礼ながらどう見てもこれが最後のご出席かと思われる足取り、
それでも2次会のカラオケまでお付き合い頂きましたのに
8月末、1ヶ月の入院生活の末他界されました。
先日再び集い、思い出話をしたところです。
今こうして拝見してますと、熱いものがこみ上げてきます。
2日から九州旅行にいっていました。
縄文人さんたちは「サンキユー会」というのですね。私は会社に39年に入社した人たちと「さんとく会」という会を作っていました。
思い立ったが吉日といいますので、立ち上がられた縄文人さんに拍手です。
冊子の中には皆さんの想いが沢山で・・。
兎に角ご苦労様です。
ブログを急にお休みされたわけが分かりました。
何かに突き動かされたように思い立たれたんですね。
読んでいて 胸が熱くなりました。
私もあまり変わらない世代なんですがたまたま戦後ですから・・・
それに終戦直後生まれて 米軍基地の町ですから縄文人さんとは別のものを見てきたようです。
私はよく同級生と会います。誰かがこんな冊子作ってくれたらいいな・・・
同窓会の会場で・・・・記事の続きを楽しみにしています。。。