特攻隊員は志願して死んでいった。
特別操縦見習士官(略して特操と云う。)特攻隊員
太平洋戦争の終結までにフィリピンおよび沖縄の航空作戦で特攻隊員として
戦死した特操出身者は第1期、第2期あわせて約280名とされ、特操第1期出身者のうち
特攻以外も含めた戦死者は668名が記録されている。
菊薫る11月8日(日)菊花展と共に、
碑文に読みふけ、若くして国の為に散った人に思いをはせた。
建立場所 東京都江戸川区東小岩2-24 善養寺 趣旨(英霊) 大東亜戦争における特操戦没者の慰霊顕彰 同 特操同期の顕彰 碑文 第二次世界大戦も末期の昭和十八年七月当時の帝国陸軍は、特別操縦見習士官(略して特操と云う。)の制度を発足させ全国の高等専門学校以上の学生に対し、入隊時より見習士官の待遇を与え、航空機操縦者を中心とする航空将校の短期養成を図り、不利な戦局の挽回を図った。 祖国の危機を救うべく奮起して、これに応じた学徒は、一期から四期まで七千名に及んだ。 厳しい訓練に耐えて実戦に参加した者の中から多く戦死者を出したが、特に特攻作戦に当っては、その主力となって、南海の空に散華した者も多い。 爾来星霜五十年今や世人の大半は、特操の何たるかを知らず。生存する同志の齢も既に古稀をこえた。 時にかつての同期の現住職特操顕彰の粗志を同期に諮り、その協賛を得てここに特操顕彰の碑を建立する。 即ち日本一を誇る天下の名松の松頼を日夜に聞く所、戦死者及びその後の物故諸霊の冥福を祈り、現在の同志諸君には過ぎし日の青春の熟誠に生きた日々を追憶するよすがとするものである 維持平成5年11月14日 三十五世大僧正名取盛雄 特操四期生有志一同 建立 偶成 星住山人 青春残照晴茫洋 戦唱地堕是処遥 松籟爆音既不知 自髭徒撫件汐腸 |
境内を巡り見ると、
大僧正・名取盛雄氏の名前の碑が目につきます。
氏は名主で、当時ニッポン放送に番組を持ち
週に何日か電波でお目に掛かっていたことを記憶しています。
参考資料
特別操縦見習士官
世に言う「特攻隊員」として聞こえが良いが
要は人間爆弾であった。これらの資料は、ほんの一片に過ぎないので、
これを契機としもう少し資料を読み深めたいと思います。
第二次大戦のことで、年齢的に制約されます。、
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