「暗渠の宿」を読む
「苦役列車」を読もうとしたが貸出中
新聞論評であったか雑誌の片隅にて読んだか、作家・西村賢太氏の文章は
「丁寧な文章と、筆運びに罵倒こそが、西村賢太の世界」と書か
れていたことを思い、その内容が脳裏の片隅に残っていた。
図書館に赴いた。

『追想録』
故・西村賢太さん(作家) 作風は露悪、人柄は律義
著者自身を模した主人公・北町貫多が衝動的に愚行を繰り返し、破局へと向かう。自虐と露悪、おかしみが一体となった私小説を書き続けた。
西村賢太さん
中学卒業後、日雇い仕事をしながら創作を始め2004年に商業誌デビュー。11年には「苦役列車」で芥川賞を受賞した。文芸春秋の田中光子文芸出版局第一文芸部部長は「編集者とのやりとりでも、丁寧な文章と研ぎ澄まされた罵倒こそが西村賢太の世界だった」と振り返る。
大正時代の作家・藤澤清造の没後弟子を名乗っていた。師への思いを新たにする短編集「芝公園六角堂跡」では、本のカバーに納得がいかず何度もやり直しを求めたと日記に書いている。「でも、偉ぶって振り回すわけではないんですよ。高い要求は西村さんなりの原理があってのこと」
「こうありたいという作家像、作品像が明確にあった」と話すのは同社の文芸誌「文学界」で担当を務めた清水陽介さんだ。連載中だった「雨滴は続く」は「永井荷風『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の現代版を書きたい。400枚の連載をしたい」と開始。「キャリアいちの、大長編を書く」という意気込みで書き継いだ連載は最終的に千枚に達し、あと1回で完結だった。
「著者校正では偏執狂的に赤字が入り、『今月も魔改造してすみません』との添え書きとともにファクスが届いた」と清水さん。俗語を小気味よく響かせるセンスが、巧みな文体に反映した。
西村さんがたびたび訪れた文壇バー「風花」に勤めていた田辺栞さんは「盛り上げ上手で聞き上手。皆が酔って話したことをひとりだけ覚えていた」となつかしみ、西村さんの日記を掲載した「本の雑誌」の浜本茂編集長も「律義な人。評論家の坪内祐三さんが亡くなったあと会食したときには、『追悼の意を込めて』と、かつて対談した場所を指定した」と語る。
実は周囲を気遣い、「西村賢太像」を演出しつつそんな自分を眺めたのが「貫多」だったのだろう。「雨滴は続く」は5月25日刊行、「本の雑誌」6月号では西村賢太特集を組む。地上は今も賢太と貫多で持ちきりだと伝えたい。
=2月5日没 (桂星子)

↑ 芥川賞受賞時の記者会見で(右から2人目、2011年1月)、

読後の感想
編集者の言葉に、「永井荷風 “墨東忌憚”の現代版を書いてみたいとも言っていたという。
「暗渠の宿」は、まさに追想録の最初の言葉に出て來るそのものと言っ ても良い。
貧困に喘ぎ暴言をまき散らすし、女性の温もりを求めて街を彷徨えば、手厳しく裏切られる。
屈辱にまみれた、小心を掻き立て本棚に積まれた数多くの文学書(3千冊)の中から、古書店に
持ち込みお金に換え、女の温もりに求めて常習的に通う。
女性を次々と変え、動物的の肉欲をむさぶる様に求めて彷徨う。
路上に果てた大正期の藤沢清造に傾倒破滅への男の内面をえぐるように書き進める。
デビュゥ作「けがれなき酒のへど」を併録した、野間文芸新人賞受賞に咲く。
”本の雑誌”、6月号では、西村賢太郎特集を組むと言う、是非読んでみたい。
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