この3連休こそは、家でグタグタしたい・・・と思っていたのですが、昨日はまたまた仕事でした・・・
仕事と言っても、職場関係の野球大会の応援なんですが!何故に3連休のど真ん中のクジを引くのか!朝は6時起き、7時には家を出て、応援から戻ったのは16時前でした。まさしく1日仕事。
結局、応援の甲斐なく負けてしまいましたが、なんとなく充実の1日でした。
さて、愚痴はそれぐらいにして本題に!
今回は、久しぶりに地方ローカル線ものです。
お隣茨城県の茨城交通に初めて行ったときの写真です。いつも通り、TOMOX様に誘っていただいたおかげで、貴重な写真を撮ることが出来ました。
時期的には、たぶん1992年の年末ではないかと・・・。詳細データが紛失してしまったので・・・スイマセン。なお、前にもお話ししましたが、まだこの頃は幹線の特急や機関車を追いかけている時期で、地方のローカル私鉄には目を向けていない時期です。この訪問がきっかけで、興味を持ったと言っても過言ではありません。そういう意味では、誘ってくださったTOMOX様に感謝の一言です。
この時は、車で阿字ヶ浦や那珂湊をまわり、いろんなところで撮影していました。今回はその中でも、那珂湊の駅で撮影した写真をアップします。
まずは、キハ111です。
キハ111 1992.12 那珂湊駅 CANON nF-1 50mm
那珂湊駅構内に止めてあったキハ111ですが、この時代は全車この塗装でした。同社の路線バスにあわせたこの塗装ですが、個人的には奇抜で結構好きでした。国鉄キハ11の残党が、ここ茨城交通で生き残り、こんな明るい塗装になっているとは・・・
私にとっては、烏山線がキハ40化される前に同線で見て(首都圏色のキハ11でした!)以来の2回目のキハ11です。いま見直してみると、結構前面窓ガラスが小型だったんだなと感じさせられます。ちなみに、この車は私の地元真岡線(現真岡鐵道)で運用させていた車両が、茨城交通に転属したとのことです・・・
次はこの日によく見た(稼働していた)キハ221です。
キハ221 1992.12 那珂湊駅 CANON nF-1 50mm
これも那珂湊駅での写真ですが・・・
この駅は写真になりますね。線路配置もおもしろいし・・・模型化には最高だと思います。
この日は、キハ204とこのキハ221が運用に就いていたと記憶しています。ラッシュ時でもない限り、2両を使った運用だったかと記憶しています。この車は、正面の旋回窓やキハ22張りの小型客窓からも判るように、北海道の羽幌炭鉱鉄道からはるばるやって来た車両で、北海道好きな私にはこたえられない車でした。製造は1960年頃で、1970年の廃止後に内地にやって来たようです。入線後しばらくは、羽幌炭鉱鉄道オリジナルの茶色に白帯の塗装で使用されていたようですが、後にの茨城交通カラーとなり長く活躍していたようです。
こんな車両達との出会いが初めての茨城交通でした。
色こそ茨城交通カラーですが、各地からやって来たいろいろな車両があり、1日見ていても飽きない鉄道でした。
現在は第3セクターのひたち中海浜鉄道として、再スタートを切り、昨年の東日本大震災にも負けずに頑張っていると聞いています。なんか、久しぶりに行ってみたくなりました!
仕事と言っても、職場関係の野球大会の応援なんですが!何故に3連休のど真ん中のクジを引くのか!朝は6時起き、7時には家を出て、応援から戻ったのは16時前でした。まさしく1日仕事。
結局、応援の甲斐なく負けてしまいましたが、なんとなく充実の1日でした。
さて、愚痴はそれぐらいにして本題に!
今回は、久しぶりに地方ローカル線ものです。
お隣茨城県の茨城交通に初めて行ったときの写真です。いつも通り、TOMOX様に誘っていただいたおかげで、貴重な写真を撮ることが出来ました。
時期的には、たぶん1992年の年末ではないかと・・・。詳細データが紛失してしまったので・・・スイマセン。なお、前にもお話ししましたが、まだこの頃は幹線の特急や機関車を追いかけている時期で、地方のローカル私鉄には目を向けていない時期です。この訪問がきっかけで、興味を持ったと言っても過言ではありません。そういう意味では、誘ってくださったTOMOX様に感謝の一言です。
この時は、車で阿字ヶ浦や那珂湊をまわり、いろんなところで撮影していました。今回はその中でも、那珂湊の駅で撮影した写真をアップします。
まずは、キハ111です。
キハ111 1992.12 那珂湊駅 CANON nF-1 50mm
那珂湊駅構内に止めてあったキハ111ですが、この時代は全車この塗装でした。同社の路線バスにあわせたこの塗装ですが、個人的には奇抜で結構好きでした。国鉄キハ11の残党が、ここ茨城交通で生き残り、こんな明るい塗装になっているとは・・・
私にとっては、烏山線がキハ40化される前に同線で見て(首都圏色のキハ11でした!)以来の2回目のキハ11です。いま見直してみると、結構前面窓ガラスが小型だったんだなと感じさせられます。ちなみに、この車は私の地元真岡線(現真岡鐵道)で運用させていた車両が、茨城交通に転属したとのことです・・・
次はこの日によく見た(稼働していた)キハ221です。
キハ221 1992.12 那珂湊駅 CANON nF-1 50mm
これも那珂湊駅での写真ですが・・・
この駅は写真になりますね。線路配置もおもしろいし・・・模型化には最高だと思います。
この日は、キハ204とこのキハ221が運用に就いていたと記憶しています。ラッシュ時でもない限り、2両を使った運用だったかと記憶しています。この車は、正面の旋回窓やキハ22張りの小型客窓からも判るように、北海道の羽幌炭鉱鉄道からはるばるやって来た車両で、北海道好きな私にはこたえられない車でした。製造は1960年頃で、1970年の廃止後に内地にやって来たようです。入線後しばらくは、羽幌炭鉱鉄道オリジナルの茶色に白帯の塗装で使用されていたようですが、後にの茨城交通カラーとなり長く活躍していたようです。
こんな車両達との出会いが初めての茨城交通でした。
色こそ茨城交通カラーですが、各地からやって来たいろいろな車両があり、1日見ていても飽きない鉄道でした。
現在は第3セクターのひたち中海浜鉄道として、再スタートを切り、昨年の東日本大震災にも負けずに頑張っていると聞いています。なんか、久しぶりに行ってみたくなりました!