ゆっくりと山登り

登山、写真、その他日々のことなど

2011年3月11日

2011-03-20 21:48:50 | その他
あれから一週間

自分のPCはこわれた後、いじる余裕もなく放置したままですが
とりあえず借りもののPCでアップしてます。

簡単ではありますが、一応あの日のことを記録に残しておきます。


金曜日の午後から国際展示場へ行ってました。
白熱灯、蛍光灯から新しい光源、LEDや有機EL照明へと
これから移行するであろう
明かりの次の主役たちを見ておりました。




最初に感じた小さくゆっくりとした振動、
ふと東京ビッグサイトの大きな屋根を見上げたときに
体がふらつくとともに、天井の大きなパイプや
つり下げられた照明器具が大きく揺れるのが見えました。

たまたま立っていたのが会場の端の方、
数メートル先に非常口があるのが確認できましたので、そのそばで揺れが落ち着くのを待って
おもむろに表に出ました。

周辺は騒然としていますが、
パニックになるということもなく
皆さん割と落ち着いているようでした。

水路を挟んだ向こう側、
火災が発生し、ヘリコプターが上空を旋回しています。
この時は全く情報がなく、どこでどんな規模で地震が起こったのか・・・
ただいつもとは違う
相当な規模の地震が発生したのだということはすぐに感じられました。




会社に、家族に連絡を取ろうとしても
携帯電話もi-モードもつながらず。
とりあえず数回のトライで家族にメールは流しました。

さてゆりかもめもりんかい線も停止して復旧の見込みなしとのこと。
これは長期戦になりそうだと思い、駅前のコンビニでおにぎりと、チョコレート、そして水を買おうと列に並んだ時でした。
再び強い揺れが押し寄せる。

一部店を飛び出した人もいましたけど
店員を始め皆さん思いのほか冷静に対処してます。


唯一の情報源は携帯のワンセグでした。
そして初めて東北地方で大変な事態になっているらしいことを知ります。

とにかく交通機関は頼りにならず、徒歩で帰宅することにします。
なんと行っても埋め立て地、ここも津波が怖い。
気休めでもとにかく少しでも内陸側に移動したく、北へ向かって歩き始めました。
ゆりかもめの路線に沿って、豊洲の方向へ長い長い人の列が続いています。


さすがに海に面した地盤は弱いのか、
液状化した地面は歩道のブロックを浮き上がらせて、水がしみ出していました。





付近のビルのオフィスから避難した人たちも公園に集合し
これから移動するところのようでした。






念のため豊洲の駅で地下鉄の状況を確認しましたが、全く動く目処は立っていないようです。
さらに北へ向かって歩き続ける。
深川のあたりにきた時、携帯にようやくメールの返事が来ました。
どうやら家族は無事の様子。まずはほっと胸を撫で下ろす。

新大橋通りまでたどり着くと、後は自宅のある東へ。
幹線道路の歩道は人・人・人・・・
黙々と自分の目的地に向かって進む人たち

夕暮れ時、自分は3時間弱で家に帰り着きました。
しかしその後も国道には夜遅くまで人の列が続いておりました。


夜半にようやく会社に連絡がつきました。
けが人は無かったが設備に色々被害が会った模様。
遠距離の人は会社の食堂に宿泊するとのこと。

・・・

復旧作業だの、計画停電対応だの、
慌ただしくしているうちに一週間がすぎました。

津波で未曾有の大災害となった東北の様子、
電子力発電所のこと、日用品の調達のこと・・・
色々考えたことはありますが
ここではあえて語るのは控えておきましょう。

ブログでおつきあいさせている方々の記事も拝見しました。
先週はほとんどコメントの書き込みもできませんで失礼しましたが、
皆様ご無事のようで、本当にほっとしました。

この地震で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
そして自分自身の役割をきちんと果たすことが
巡り巡って被災地の復興につながることを信じて
仕事に取り組みたいと思っております。