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星、宇宙、標石、之波太(しばた:柴田)をこよなく愛するサイト。

時の日

2021-06-15 23:54:45 | 

 時の記念日は、日本の記念日の1つ。毎年6月10日。日本で初めて時計(「漏刻」と呼ばれる

水時計)による時の知らせが行われたことを記念して制定された。

 記念日ではあるが、法定された国民の祝日ではない。日本では6月に国民の祝日がないため、

時の記念日を6月の国民の祝日にすべきとの意見も多いが、実現には至っていない。

 

国立天文台のHPを見ていたら次の記事があった。

★ 「日本の「時」をつかさどる」(国立天文台 広報ブログ)

1924年から1955年まで、日本標準時を決定する観測は国立天文台三鷹キャンパス

で行われていました。観測に使用された子午儀の台座はいまも残されています。

日本の「時」をつかさどる | 国立天文台(NAOJ)2021年6月10日 |広報ブログ

すばる棟

国立天文台三鷹キャンパス内にある「日本の時刻決定の基準点」記念碑

 国立天文台三鷹キャンパスの一角、ともすると生い茂る草の丈に埋もれそうな碑(いしぶみ)が

あります。「日本の時刻決定の基準点」と記されたこの記念碑は、かつてここで日本の「時」を

決めるための観測が行われていたことを物語っています。

現在私たちが使用している時計の一つ――たとえば電波時計は、標準時を発信する電波を

受信して自動的に時刻を合わせています。またコンピュータの時計は、標準時を配信する

専用のサーバと通信して時刻のずれを補正しています。こういった日本国内で使われる

標準時(一般的に日本標準時、法令では中央標準時という名称が用いられます)を

知らせる報時信号は、現在は情報通信研究機構(NICT)が送信しています。世界各地の

標準時は、国際的に定められる「協定世界時」が基準になっていて、日本の標準時は

「協定世界時+9時間」と決められています。この「協定世界時」は、世界中にある、

極めて精度が高く安定した原子時計という時計を使って維持され、日本では、

国立天文台、情報通信研究機構(NICT)、産業技術総合研究所(AIST)などにある

原子時計群が、その一翼を担っています。国立天文台の原子時計群の維持・運用は、

かつては三鷹で行われていましたが、現在はその役割を水沢キャンパス(岩手県奥州市)

の天文保時室に移しています。

 原子時計が登場する前、標準時は地球の自転運動に基づいて決められ、それは「子午儀」と

いう特殊な望遠鏡を用いた天体観測から導かれていました。ある基準となる地点で恒星が

子午線を通過する(正中する)瞬間を観測し、恒星の赤経や観測地の経度を正確に求めて、

そこから標準時を算出します。かつて日本の標準時決定の観測を担ったのは、国立天文台

(当時は東京天文台)三鷹キャンパス内の「連合子午儀室」という観測棟に納められた

複数の子午儀でした。現在はもうその建物はなく、跡地には別の研究棟が建てられましたが、

子午儀が置かれていた台座の一つが残され、そこに記念碑が設けられたのです。この子午儀

による日本の標準時決定の観測は、1924年(大正13年)から1955年(昭和30年)

まで行われました。

 この大役を果たした子午儀の一つが、口径90ミリメートルの屈折望遠鏡を搭載したドイツの

カール・バンベルヒ社製の子午儀(通称バンベルヒ子午儀)です。役割を終えてからは解体され、

表舞台に出ることはありませんでしたが、現在はみごとに復元されたその2台の子午儀の姿を、

子午儀資料館(レプソルド子午儀室)で目の当たりにすることができます。

子午儀資料室

日本の標準時決定の観測に使用されていた、90ミリメートル バンベルヒ子午儀

国立天文台の近代100年略史(2014)より

 

●この写真は、2014年3月 国立天文台で開催された「ロシア隕石落下1周年

シンポジウム」に参加した際、事前にお願いし、展示施設を案内していただいた

ものである。