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士農工商

2020-03-27 23:27:33 | 之波太:柴田
 3月23日、朝日新聞・文化の扉・歴史編に「士農工商」が解説されていた。


士農工商、序列じゃない?
武士以外は横並び/「農民の心得」法令は創作

 江戸時代の身分制度といえば「士農工商」。武士の次に年貢を納める農民(百姓)が
偉いと、歴史の授業で教わった覚えはないだろうか。「朝は早く起きろ」などと百姓
心得を説いた「慶安の御触書(おふれがき)」と共にこれらの記述は姿を消しつつある。

 最新の歴史教科書である2020年度の「詳説日本史」(山川出版社)を開くと、
次のように書かれている。「武士は(略)支配身分である。(略)一方、社会の大半
を占める被支配身分は(略)百姓(略)職人(略)家持(いえもち)町人の三つを
おもなものとした」
 すなわち士(武士)・農(百姓)・工(職人)・商(商人)などが固定的身分と
してあるのではなく、武士以外は百姓・職人・家持町人などが横並びに存在すると
説明されているのだ。
 「士農工商」という言葉は中国の古典に由来しており、「管子」には「士農工商
の四民は石民(国を支える民)なり」という記述がある。もともとは序列などでは
なく、「社会一般の人々」という程度の意味らしい。
 東京大学の吉田伸之名誉教授(近世史)は近世の身分社会について、「土地や道具、
貨幣などの所有のあり方から類型化される、弾力的で、重層的・複合的なものだった」
と指摘する。
 支配層は武士だけではなく、天皇や公家、上級の僧侶や神官らも含めて構成されて
おり、武士・百姓・職人・町人などの周辺には、そのいずれにも属さない宗教者や医者
・儒学者、芸能者などがそれぞれ小さな身分集団を作っていた。「たとえば職人にして
も、実際には大工身分や木挽(こびき)身分、屋根葺(ふ)き身分などに細かく分かれ
ており、多様だった」と吉田名誉教授。
 他方、養子縁組などによって被支配層である家持町人が支配層の武士になることも
できた。「近世身分社会というと固定されたイメージが強いが、実態は柔らかなもの
だったのです」
     *
 同じく教科書での扱いが変わったのが「慶安の御触書」だ。「朝は早く起きろ」など、
百姓の暮らしを教導した1649(慶安2)年の法令といわれ、厳しい農民支配の例と
されてきたが、今や掲載されていない。
 発令当時の史料が見つかっていないことなどから「偽書では」との見方もあったが、
信州大学の山本英二教授(近世史)の研究によって、甲州や信州に17世紀中頃に
流布していた教諭書「百姓身持之事(ひゃくしょうみもちのこと)」をもとに、美濃国
岩村藩から1830(文政13)年に「慶安御触書」の名前で出版され、東日本を中心
に広まったものとわかった。
 この書が世に出てほどなく、全国的な凶作が続く「天保の大飢饉(ききん)」
(1833~36年)が起きる。山本教授によると、諸藩は食糧不足などが原因で頻発
する一揆に手をやいていた。「そんななか、幕藩体制が確立されたころの慶安の年号を
冠した、百姓のあるべき暮らしぶりを示した教諭書が創出され、出版というメディアに
よって行き渡ることで、百姓を教え諭すのに一役買ったのではないか」
     *
 なぜ、実態と異なる歴史が教科書で紹介されたのか。
 「慶安御触書」については1895(明治28)年に刊行された、江戸幕府法令の
集成「徳川禁令考」に収録されたのが大きい。編纂(へんさん)は司法省で、新政府
お墨付きの法令として定着した。
 姫路大学の和田幸司教授(近世史・学校教育学)の研究によれば、浮世絵師・西川
祐信の「絵本士農工商」などから、江戸中期の町人たちは士農工商を社会的序列では
なく、職分(社会的分業)と考えていたらしいことが明らかになっている。
 にもかかわらず、明治維新以降、新政府が実現したとされる「四民平等」に対抗
するイデオロギーとして強調された結果、士農工商を社会的序列とする見方が定着した
とみられる。
 「慶安の御触書」も昭和に入って、皇国の食料不足を近世農民の耐乏生活に学ぶ――
という文脈で使われた。為政者に都合がいい解釈ができる史料や見方だったから疑問
点も看過され、生き残ってきたといえそうだ。(編集委員・宮代栄一)

 ■下位に置かれた人々、受けた差別
 武士・百姓・町人といった身分集団の下位に置かれたのが、かわた(えた)・
と呼ばれた人々だ。大阪市立大学の塚田孝教授(近世史)によると、かわたが中世の
がルーツで、集落を作って皮革製造業などに従事したのに対し、は近世に
なって村や町から排除された人々で、大阪では町奉行所の警察業務の一部を担うなど、
その性格に強い地域色があった。彼らは居住地、髪形、服装などでも差別されていた。

 <読む> 近世身分については「身分的周縁と近世社会」(全9巻、吉川弘文館)が
おすすめ。吉田伸之「寺社をささえる人びと」、塚田孝「都市の周縁に生きる」などの
巻も所収。山本英二「慶安の触書は出されたか」(日本史リブレット)は平易な入門書。

★管理人の思い
10年程前、角田市の文化財巡りに参加した。北部のお寺の住職の話。
江戸時代、お寺の檀家は身分制度「士農工商」で分けられていた。
市中央部で複数のお寺がある場合、A寺は士と農、B寺は工と商となっていたようだ。
との話を伺った。
この話を受け、船岡の歴史ツアーで、上記の内容を当てはめて話して、お客さんに
納得していただいている。
また、町内の小中学校での歴史講話でも士農工商の話が出てくる。

2020年度の歴史教科書には、
支配者である「武士」と被支配者である「百姓」「職人」「町人」しかいなかった。
支配層は武士だけではなく、天皇や公家、上級の僧侶や神官らも含めて構成。
武士・百姓・職人・町人などの周辺には、そのいずれにも属さない宗教者や医者・
儒学者・芸能者などがそれぞれ小さな身分集団を作っていた。

さて、小中学校から依頼されたらどのように話せばよいのだろう。
歴史ツアーの場合は、どうしよう。
と思った。士農工商は序列じゃない?の記事でした。