星・宙・標石・之波太(しばた)

星、宇宙、標石、之波太(しばた:柴田)をこよなく愛するサイト。

2006年7月9日

2012-05-24 18:44:47 | その他
皆さんは、2006年7月9日(日)何をしていましたか?

宇宙兄弟のあらすじ
「2006年7月9日、月に飛翔するUFOに遭遇し「2人で宇宙飛行士になろう」と
約束した南波六太(なんば むった)、日々人(ひびと)兄弟。・・・・」

カレンダーや手帳に予定等を記載している。
カレンダーは1年分をスキャンし、PDF化している。
手帳も大体の出来事を書いているが・・・・。

カレンダーによると、当日は
柴田町長選挙、自治会薬剤散布、日本スペースガード協会出張とある。

・柴田町長選挙は、滝口茂町長が再選された。(上京予定があり、期日前投票をした)
・自治会薬剤散布は、町内のスポーツ愛好会に所属していて、自治会から委嘱を受け、
 愛好会の有志が動力付き噴霧機で暑くなる前に側溝や屋外便所等に薬剤を散布する。
 上京予定のため、散布には参加できなかった。
 (現在は、便所の水洗化が進み薬剤散布は中止となっている)
・スペースガード協会の理事に就任しており、理事会の招集があり、東京都渋谷区笹塚の
 協会事務所にて会議に出席した。
 議題は、協会創立10周年記念講演会を10月21日に東京大学山上会館で開催するため、
 小松左京さんの講演等について調整をした。

と記憶(?)している。

7月24日、友人が出張で角田に来たので旧交を温めるため、飲み会に参加した。
2次会に行った記憶はあるが、帰りの記憶が全く無い。
24時過ぎに帰宅した。
翌朝、家内からズボンやYシャツが擦り切れていて血が出ているよ云われた。
いつも持ち歩いている黒いカバンがない、記憶をたよりに昨夜行った飲食店を
訪ねるもカバンがない、カバンを持って帰ったらしい。
カバンには、デジカメ、電子辞書、手帳、天文雑誌2冊、現金数万円、自動車・家の鍵、
銀行の通帳・カード等大事なものが入っていた。
交番に届け出を行い(現在まで拾得したとの連絡がない)、銀行で通帳の紛失届と再交付を
行った。
被害(?)総額約20万円。

ということで、2006年の手帳がないのだ。7月9日の出来事を思い出して書いている。

月に飛翔するUFOに遭遇し「2人で宇宙飛行士になろう」と約束した南波六太、日々人兄弟。」

宇宙兄弟が宇宙飛行士になろうと約束した日、
残念ながら、管理人は記憶がなくなるような7月9日であった。




宇宙兄弟

2012-05-24 17:49:50 | 宇宙
昨日(5月23日)、映画「宇宙兄弟」をみてきた。
昨日中に記事をアップする予定であったが、かくだ宇宙っ子まつりの第6回実行委員会
及び反省会があり、また、2次会に年甲斐もなく参加し、帰宅したが午前様であった。

気を取り直し、夕方アップする。

5月3日、「子どもの憧れ宇宙飛行士」の記事を投稿した際、映画「宇宙兄弟」についても書いた。
5月5日、封切りであったが、金環日食の講演等で多忙であったため、見に行くことができなかった。
23日、ようやく名取市の映画館で見てきた。


小山宙哉著・モーニングKC 講談社刊2008年3月に第1巻が発行され、現在17巻である。


あらすじ
2006年7月9日、月に飛翔するUFOに遭遇し「2人で宇宙飛行士になろう」と約束した
南波六太(なんば むった)、日々人(ひびと)兄弟。
時は流れ2025年、その時に交わした約束通り日々人はNASAの宇宙飛行士となって
月に向かおうとしていた。
その一方、弟の悪口を言った上司に頭突きして自動車開発会社を退職し無職となった六太。
再就職もうまく行かず、意気消沈していた六太の元に、事情を聞いた日々人からメールが届く。
「あの日のCDを聴け。」メールに書かれているまま、幼い日に録音したカセットテープを聴く六太。
するとそこには、六太が置き去りにしていた「伝言」が鮮明に刻まれていた。

また、今年4月1日からテレビアニメが日本テレビ系で放送されている。




三角点・小泉・村田町

2012-05-24 09:29:20 | 標石
今回の四等三角点は、村田町小泉にあります。

点名:小泉(こいずみ)
種別:四等三角点
基準点コード:TR45740152801
緯度: 38度06分19.3357秒
経度:140度43分51.8954秒
標高:40.20m
所在地:柴田郡村田町大字小泉字古館2-1
備考:昭和40年7月に標石が設置されている。
撮影:2010年6月28日


【四等三角点(小泉)】


【三角点周辺】


三角点は、この竹林の奥にある。


【古館跡の看板】
明治17年編纂された陸前國柴田郡誌(皇国地誌)によると、
陸前國柴田郡小泉村の古跡に
古館址「村の西方にあり。東西三十七間、南北三十八間、回字形をなす。年間詳ならす。
相伝う、往昔、伊達氏の臣田手肥前宗實なる者居る所なり。今や荒廃して散柴を生す。」
との記述あり。