孔子は、女子と小人は養い難し、と言い切った。実は、井波さんが、論語の全訳に挑んだ人類最初の女性である。だから、陽貨篇第25章の解説には、読書界の全ての注目が集まっていた。
なんと、「孔子がはるか二千五百年以上も前に生きた人であることを、改めて実感させられる発言である」、と小賢しい解説で逃げ切った。
これぞ、論語の難読箇所の一つである。だから、二千五百年以上も前に生きた人の「女子」の用例を学問として研究しなくてはならない。
まず、「女子」は未婚の娘たち、当時では、7歳から18歳までの、いわゆる女の子である。それ以上の年齢だと、婦人、夫人になる。刑法、家族法の規定にかかわるので、程樹徳先生の「論語集釈」は必読。また、「論語」には、「女樂」という少女の楽団の話がでてくる。また、公冶長には、無実であるが、形式では前歴がある人物に、孔子は実の娘との結婚を許している。さらに、孔子が編纂した『詩経』は、9割が娘たちの愛の賛歌である。異性をしたう恋慕の抒情に満ちている。
7歳から18歳までの、いわゆる女の子たちは、「これを近づければ則ち不遜、これを遠ざければ則ち怨む」というのは、今でも通用する。孔子も自分の子供として女子を養育し、結婚を許している。『詩経』をみると、孔子の娘が公冶長に恋をしたからかも知れない。孔子は、女ごころの分かる粋なおじさんだ、と僕は思うのですがね。孔子は母の手で育てられ、母性愛に守られた人物である。孔子が世に流布していた歌謡のなかから筋の良い「愛の賛歌」を集めたのが「詩経」である。この業績と『詩経』に現れる「女子」へのまなざしを検討しないで、小賢しい解説で逃げ切った。改めて、井波さんに「怨み」を買うような発言をしたが、貴方の「完訳論語」、<完訳>とは学者として不遜の極みですぞ。