富山マネジメント・アカデミー

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広義の観光の定義は、移住者の流入・定住を意味する。

2017年06月28日 | Weblog

「観光」という言葉は、孔子が編纂した周王朝の「易」の解説にある。その国王の徳を慕い、他国から多くの人が移民してくる、というのが原義である。国の「光を観る」というのが原義である。だから、船橋村に視察にくる人こそ、本当の観光客である。これを広域に広げたのが、広義の「観光」である。立山観光には、自然保護という徳がある。この原理軸を譲らない。ただ、まだ弥陀ヶ原を石油燃料の定期バスが走っている。可能性があるなら、水素発電も考えるべきだ。「徳」こそが、観光資源である。これが、東洋思想の観光哲学である。英語圏の観光学は、経済学を土台とするが、アダム:スミスの同感の道徳哲学(『道徳感情論』)と、孔子の徳はきちんと通底している。

外国人の移民は、日本が大日本帝国であった名残りから、「在日」と言われながらも、法的には日本国籍が認められる。中期、短期の外国からの人材の流入により、「純国産の日本人の若者」が単純労働に近い世界を譲り渡し、同時に、高度な国際業務や、最先端研究の博士課程での学びから遠ざかってきた。こうしうて、「純国産の日本人の若者」は、著名な企業に所属するか、公務員の職種に集中し、日本国の「徳」のコアーを形成してきた。

民族は生物概念ではなく、言語を媒介する文化概念の同一性で決まるとされる。漢民族の場合は、子供に父親の姓をつける、という父系社会の慣行だけが、唯一の同一性であると、アメリカの白人の中国研究者が述べている。

日本の場合は、日本語で書かれ、制定・運用されている法律文化の体系のなかで、象徴天皇の尊崇を基準に同一性がある。その場合、コアーにあるのは、天の意を受けた神の意思の体現者として、森林の保護において、日本の天皇制のコアーがある。4世紀にわたり栄えてきた大漢帝国は、山林の利益を皇帝の帝室財産としたために滅んだ。これを突き止めたのが、東京帝国大学文学部史学科の加藤繁教授である。この漢帝国の誤りを伝え、原始宗教の姿しかなかった日本に、中国の皇帝制とは異なる、自然神である天皇氏の役割を見出した。太古に近い時代に、日本の指導者の徳を慕い渡来した移民が、律令制国家の形成に寄与する。


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