富山新聞は、砺波地方に読者が多い。それは、昔は、加賀と人脈が通じていたからである。明治になり、富山県ができると、土木工事を通じ、砺波の産業界は、富山県の土木を担う。しかし、佐藤工業の破綻により、砺波をリードする人材群は、時代の流れから取り残された。政策課題が、富山市の大山、八尾、山田地区と共通するのは、林業の不振である。山林地主そのものは、昔からの素封家で、林業を棄て、不動産業で財を増やせるので、本気で林業で立身する人材を育成することに繋がらない、また。ある哲学者が草刈り十字軍の運動をしてきたが、いまや、その結果は問わないことにしよう。儒学にいう「格物致知」にかなう本当の学問ではないからだ。それを支持してきたK新聞の社会的な責務である。精神主義は、宗教に通じる。
限界集落といわれる山村は、実は、異常に人口が増加した時代がある。それは、木炭の需要が高まった明治・大正・昭和である。その人口の増加原因を分析しないで、また、廃村を回避する方策を出さないで、廃村の危機を地方紙の一面トップにすえる大馬鹿がいる。木鐸とは、社会の医者である。新聞社が、村の死を予知したら、取材力で解決策を提案することである。理工系の記者を活かさないような新聞は、ともに廃刊の道を歩むことになる。英語と理科ですよ!地方紙に欠けているのは。
では、現在では木炭の需要はないのか?富山マネジメント・アカデミーが知りうる情報を提供する。まず、大門にある磁気を帯びた特殊鋼の生産工場では、燃焼炉のなかに木炭を投入する。その原料炭は、たしかマレー半島など東南アジアのマングローブを伐採し、それを原料として炭化物が作られている。伏木富山港を管理する伏木税関には、「木炭」という輸入品目がある。変電気の磁力コイルになる磁力鋼である。日本人は、木炭の形、例えば焼き鳥屋でつかうものを木炭と呼んでいる。これは、不純物を含も炭素の一つの姿にすぎない。
魚津にダイヤモンド・エンジニアリングという企業がある。製鉄のプロセスにおいて、獣骨からとるカルシュームと、木炭素材の炭素を投入する。稲のもみ殻でつくる炭が最適とされてきた。溶鉱炉の温度を一定に保つには、炭素が必要だからだ。何も魚津で製鉄が行われているのではなく、その技術を世界の製鉄業に提供しているわけだ。
利賀村において、品質の良い「炭素」を生産し、在庫ストックしたら、円高の局面では、輸入される「外国産の炭素」に対し競争力が生まれる。金融のサポートがあれば、この価格変動には耐えられる。魚津のエンジニアリングと、大門の磁鉄鉱の溶解炉と、利賀村がコラボすれば、さらに、スギノマシーンの技術が加味されたら、夢のような最先端のカーボンナノの生産施設を兼ねた研究基地ができる。お好きな演劇も、続けられる。これは、富山新聞文化センターに属していTMAのアイデアである。カーボンを需要先の求める精度・純度で生産できれば合格。富山には、電気炉が非常に多い。技術は魚津、需要地は富山湾湾岸の電気炉、原料生産地は、砺波など中山間のむら。庄川町には、カーボン精製工場を起業し、山で生産されたカーボンを庄川の電気で動く川船で伏木富山港の付近の工場に納品する。これで、アイデアとしてはイケるはずだ。僕のような、社会経済の歴史学者には、これ以上は無理だ。ごめんなさい、利賀村の皆さん。
ただし、間伐材でも、極めて不純物が多い、不純物からは、農薬が生産できる。後は、理工系の博士に任せる。ゴメン。