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キリストの発言記したパピルス片発見、「私の妻は」の記載

2012年09月19日 20時00分20秒 | 聖書

CNN.co.jp 9月19日(水)9時51分配信

(CNN) 米ハーバード大学の研究者が18日、イタリア・ローマで開かれた学会で、キリストの妻についての発言を記載した古いパピルス片が見つかったと発表した。

発表を行ったのはハーバード大学神学校のカレン・キング教授。パピルスの紙片は縦3.8センチ横7.6センチほどの大きさで、エジプトのキリスト教徒が使うコプト語の文字が書かれている。この中に、「キリストは彼らに向かい、『私の妻が…』と発言した」と記された一節があった。

紙片は個人の収集家が所蔵していたもので、2011年にハーバード大学に持ち込まれ、キング教授が調べていた。ニューヨーク大学の専門家に鑑定を依頼した結果、本物のパピルスであることが確認されたという。

キング教授によると、内容はキリストと弟子との対話を記録したものとみられ、2世紀半ばごろに書かれたとみられる。表裏の両面に文字が書かれており、書物の1ページだった可能性もあるという。

ただしこの紙片は、キリストが結婚していたとする説を裏付ける証拠にはならないとキング氏は指摘する。一方、キリストが未婚だったことを裏付ける証拠もないといい、キング氏は記者会見で「キリストが結婚していたかどうかは分からないという立場は、以前と変わっていない」と強調した。

聖書には、キリストの結婚について触れたくだりは存在しない。しかし結婚していたとする説は以前からあり、聖書に登場する「マグダラのマリア」が妻だったとする説は、ヒット小説「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)でも利用された。


民数記18章8-20節

2012年09月19日 08時24分55秒 | 聖書

18:20 主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。」


神様はアロンを呼ばれて、彼に民が捧げる奉納物に関することを告げられました。

その奉納物をどうするかということを、告げられたのです。

 告げられたことは、彼と彼等の子供達、また家族の者達の食料となるものは皆、この民が主のために捧げる奉納物から受け取るのだということでした。

そこでは、アロンと男子のみしか食べてはならないもの、あるいは女子も食べて良いものなど、少しずつ違いもありますが、いずれも奉納物を自らの糧とするように命じたのです。

それによって、彼等は生活をするように命じられました。

 彼等は、生産に携わらなくても糧を得ることができますので、彼等には土地は与えられませんでした。

主ご自身が、彼等の相続地であると言われるのです。

彼らの働きを、この主への奉仕に専念させるためでした。



民数記18章1-7節

2012年09月19日 08時20分57秒 | 聖書

18:7 「あなたと、あなたとともにいるあなたの子たちは、祭壇に関するすべてのことや、垂れ幕の内側のことについてのあなたがたの祭司職を守り、奉仕しなければならない。わたしはあなたがたの祭司職を賜物の奉仕として与える。ほかの者で近づく者は死ななければならない。」


民が、祭司の働きについているアロンや、民の指導者として働いているモ-セに対してつぶやいた結果、神様によって裁かれ、滅ぼされました。

彼等が主の御心を無視し、軽視したからです。

 特に、祭司職に対する民の不平が、民の内に改めて起こらないために、主はその職務に誰が携わるのか、また彼等が何をするのかということを明白にして、口頭で告げられました。

この祭司職の働きにつくのは、アロンとその家の者達であると、告げられたのです。

 その奉仕の職務は、神様から与えられた賜物であると言われました。

つまり、彼等に何かの資格があって決められたのではなく、神ご自身の意思にのみ寄ったことであると言われたのです。

その職務は、具体的に、彼等が聖所の任務と祭壇の任務を果たすことだ、と言われました。


◆ねたんではならない

2012年09月19日 08時15分01秒 | 聖書

あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。
ただ主をいつも恐れていよ。     (箴言二三17)

ねたみ心ほどみじめなものはないと思います。あなたはどう思われるでしょうか。自分が被害者だと決めこみ、ねたむ心でまわりを見まわすと、くやしいことばかり、いっぱい見つかります。「自分はまじめに一生懸命やっているのに、ちっとも認められない。ごまかして、適当にやっている人のほうが重んじられて、出世した。月給も多いし、得をしている。……」
いったんねたみ心を持つようになると、心から平和や喜びがなくなり、やたらに攻撃的な破れかぶれの心になります。自己憐憫にはまりこみ、みじめな思いに苦しむだけです。ねたみ心からは、何一つよいものは生まれてきません。ねたみ心を分析してみると、いろいろと興味のあることが分かります。
第一は、かけ離れた人はねたまないで、身近な者をねたむことです。総理大臣はねたまず、同僚をねたみます。今のことをねたみ、永遠の先のことなら、けっしてねたみません。ねたみ心は近視眼なのです。
第二は、真実な価値・永遠性にねたみは向きませんが、色欲・物欲・名誉欲などに関係することだけねたみます。隣の人が、心さわやかに神に祈り、きよい喜びに満ちていても、けっしてねたみません。しかし、自分よりえらくないと思う人が、家を建てたりするのを見るとねたむのです。ねたみ心は野獣的です。
第三に、ねたみ心には、自分の価値と能力に対するばかげたほど安っぽい自負心があることです。ねたみ心は、愚かなピントはずれの心なのです。
第四に、ねたみ心は、自分もあの人のようになれるなら、罪人の道へ走ってもみようかと思う、罪にまどい汚染された病める心なのです。
私たちは、心のきよい者に対してあくまでもいつくしみ深い神に目を向け、神を恐れて進まなければなりません。

 


◆キリストは、自由を得させるために、

2012年09月19日 08時13分43秒 | 聖書

私たちを解放してくださいました。(ガラテヤ五・一)

この「自由」は私たちを解放して、天国の憲章である聖書に向かわせる。信者よ。ここに金言がある。「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり……」と。あなたはそこで自由である。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず……」との聖句がある。あなたはここにでも自由である。約束の食卓に招かれている客である。聖書は無限の恵みに満ち、尽きることを知らない宝庫である。またそれは天の銀行である。何の妨害もなくあなたの欲するままに引き出してよい。
信仰をもって来れ。あなたはあらゆる約束の祝福に歓迎される。神のみことばの中には撤回されるような約束は一つもない。苦難の底に置かれても、この自由によって慰めを得よ。苦悩の大波の中にも、これによって自らを励ませ。悲哀が取り囲む時、これをあなたの慰めとせよ。これはあなたの父の贈り物である。あなたはいつでも、それを自由に受けることができる。
あなたはまた、恵みの御座に自由に近づくことができる。どんな時にも天の父に近づけることは、信者の特権である。私たちの願望、困難、欠乏がどのようなものであっても、自由に一切を父なる神の前に広げることができる。私たちがどれほどの罪を犯してきたかは問題ではない。罪の赦しを求め、かつそれを期待してよい。私たちがどれだけ貧しくても問題ではない。主こそすべての必要を備えてくださるとの約束に従って、求めればよい。いつでも、私たちは主の御座に近づくことができる。
おお、信者よ。あなたの権利を用いて、あなたの特権に生きよ。キリストの中に蓄えられているすべてのもの――知恵、正義、聖潔、贖い――をあなたは自由に得ることができる。キリストの中には満ち足れる供給があり、それはあなたのためのものである。
ああ、あなたはなんという自由を与えられていることか。罪の刑罰からの自由、約束に対する自由、恵みの御座に近づく自由、そして天国に入る自由まで!