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◆ねたんではならない

2012年09月19日 08時15分01秒 | 聖書

あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。
ただ主をいつも恐れていよ。     (箴言二三17)

ねたみ心ほどみじめなものはないと思います。あなたはどう思われるでしょうか。自分が被害者だと決めこみ、ねたむ心でまわりを見まわすと、くやしいことばかり、いっぱい見つかります。「自分はまじめに一生懸命やっているのに、ちっとも認められない。ごまかして、適当にやっている人のほうが重んじられて、出世した。月給も多いし、得をしている。……」
いったんねたみ心を持つようになると、心から平和や喜びがなくなり、やたらに攻撃的な破れかぶれの心になります。自己憐憫にはまりこみ、みじめな思いに苦しむだけです。ねたみ心からは、何一つよいものは生まれてきません。ねたみ心を分析してみると、いろいろと興味のあることが分かります。
第一は、かけ離れた人はねたまないで、身近な者をねたむことです。総理大臣はねたまず、同僚をねたみます。今のことをねたみ、永遠の先のことなら、けっしてねたみません。ねたみ心は近視眼なのです。
第二は、真実な価値・永遠性にねたみは向きませんが、色欲・物欲・名誉欲などに関係することだけねたみます。隣の人が、心さわやかに神に祈り、きよい喜びに満ちていても、けっしてねたみません。しかし、自分よりえらくないと思う人が、家を建てたりするのを見るとねたむのです。ねたみ心は野獣的です。
第三に、ねたみ心には、自分の価値と能力に対するばかげたほど安っぽい自負心があることです。ねたみ心は、愚かなピントはずれの心なのです。
第四に、ねたみ心は、自分もあの人のようになれるなら、罪人の道へ走ってもみようかと思う、罪にまどい汚染された病める心なのです。
私たちは、心のきよい者に対してあくまでもいつくしみ深い神に目を向け、神を恐れて進まなければなりません。

 


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